巨匠の面影─張大千生誕120年記念特別展,展覧期間  2019.4.1-6.25,北部院区 第一展覧エリア 会場 202,204,206,208,210,212
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張大千の自画像

 近代の画家の中で、張大千は自画像を特に好んで描いた画家だと言え、自画像の数は百幅を下りません。この度の特別展で展示する自画像10点のうち、小品の冊頁と縦軸2種の4点は本院所蔵、他の6点は国立歴史博物館寄託作品です。一般的な自画像と明らかに異なるのは、肖像画にありがちな描き方─丁寧で写実的な描写や、落ち着きのある雰囲気などに捉われていない点です。例えば、「私と私の小猿」という作品は、自分とかわいがっていた黒い猿を1枚の絵にしています。「五十九歳自画像」は、巻物を広げて読む古代の高士のような姿で自分を描いています。「乞食図」では自分を托鉢する乞食僧にして描いており、「鍾馗」では自分を神として描いています。張大千の自画像は写意が多く、こけた頬に長いヒゲをたくわえた、如何にも肖像画らしい作品でなければ、一般的な人物画と大差ありません。このように気の向くままに筆を走らせた、変化に富んだ表現によって、豪放かつ大胆な芸術家らしい気質がより生き生きと紙上に投影され、非常に高い評価を得ました。

民国張大千 私と私の小猿

民国 張大千 私と私の小猿
重要古物
  1. 形式:冊頁
  2. サイズ:23.8x35.8 cm
  3. 国立歴史博物館寄託

張大千『大千狂塗』冊(一)の第十二開。右下に題「我同我的小猴児」がある。張大千は生来の猿好きで、美術界では黒猿の生まれ変わりだと噂されていた。この絵は張大千と猿の親しげな雰囲気がよく表現されている。1956年、58歳の頃の作品である。その年、張大千は初めて欧州を旅し、ピカソ(1881-1973)に会うことができた。西洋現代美術の啓発を受け、豪邁にして簡潔、自由で伸びやかな筆致へと、画風も次第に変化していった。
民国 張大千 五十九歳自画像

民国 張大千 五十九歳自画像
 
  1. 形式:軸
  2. サイズ:133.5x33.8 cm

1957年、張大千がブラジルの八徳園で暮らしていた、59歳の頃に描いた作品。題識を見ると、張大千が友人の張目寒(1902-1980)に贈った自画像だと知れる。古代の文士の装束を身にまとった張大千が足を組んで座り、左手に持った書巻を広げて読む姿が側面から描かれている。この年、張大千は目を患い、秋には米国で治療を受けている。この自画像の線は細いが力強く簡潔で、顔の部分にのみ広がりがある。目の病に難渋しているとは思えない出来栄えだが、書には大字を用いているほか、「老いとともにやってきた昏霧(朦朧とした視界)」というやるせなさも微かに漂う。
民国 張大千 鍾馗

民国 張大千 鍾馗
 
  1. 形式:軸
  2. サイズ:93.5x48.6 cm

1947年の端午節、張大千が上海に寓居していた49歳の頃の作品。右上に款題があり、友人の陳定山(1897-1987)のために描いたものだと知れる。画中の人物は鍾馗の扮装で、烏紗帽をかぶり、両手に剣を持っている。顔を覆うヒゲから、張大千本人を側面から描いたものだとわかる。帽子に挿している花が作者の奔放さや、画芸をもってこの世を存分に楽しもうという気質を際立たせている。
民国 張大千 七十自画像

民国 張大千 七十自画像
  1. 形式:軸
  2. サイズ:128 x 68 cm
  3. 国立歴史博物館寄託

1968年、張大千がブラジルの八徳園で暮らしていた頃、70歳の誕生日を迎えて描いた自画像である。この自画像は半身像で、一貫して着続けた長袍(中国の伝統的な衣服)に濃いヒゲという特徴が見られ、悠然とした表情におおらかさが感じられる。画面と表装の周囲は、張大千に依頼された張群や張維翰、曽紹杰、梁寒操など、美術界の友人15名の題跋や賀詞で埋め尽くされており、非常に意義深い。2014年にご子息の張葆羅氏により国立歴史博物館に寄贈された。
民国 張大千 乞食圖

民国 張大千 乞食図
  1. 形式:軸
  2. サイズ:135.9x69.1 cm
  3. 蒋復璁氏寄贈

1973年の作品。75歳の誕生日を迎えた張大千が、カリフォルニアの環蓽菴で暮らしていた頃に制作された。髪もヒゲもすっかり白くなった張大千は、右手に杖、左手に空の碗を持ち、乞食姿で描かれている。晩年、張大千は摩耶精舎で暮らしていたが、本作も摩耶精舎とともに故宮の所蔵品となった。「乞食図」は石に模刻され、張大千の遺骨が埋葬された梅丘付近に建立された。終生画芸を生業とした画家にとって最良の記念碑となった。