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    • 脱袍見夢─衣服を脱ぐ夢
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    故事について─脱袍見夢─衣服を脱ぐ夢

    靖康元年(1126)、宋欽宗は弟の趙構を大元帥に任命しました。その後、金軍が南下して北宋は滅亡。徽宗と欽宗が金人の捕虜として北方に連行されると、趙構が南京で即位し、南宋の第一代皇帝となりました。「脱袍見夢」(衣服を脱ぐ夢)の故事はこの政権交代の時期に発生したものです。大元帥となった趙構が各地の戦場を駆け巡っていたある日、自分と兄の欽宗が宮中の庭園で出会う夢を見ました。その夢の中で欽宗は自分の衣服を脱いで趙構に着せたのです。それには政権と王位を趙構に譲るという象徴的な意味がありました。趙構がやんわり断ろうとしたその時、夢から醒めました。この話を聞いた大臣の曹勛は、趙構は勇ましく軍隊を率い、天命によりこの国を再び栄えさせるだろうと、趙構を称揚する文を書きました。


    • 陸績懐橘─ミカンを懐に入れた陸積
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    故事について─陸績懐橘─ミカンを懐に入れた陸積

    陸績は6歳の時に袁術を訪ねました。袁術は陸績をもてなしてくれました。敷物の上にミカンが置いてあるのを見た陸績は、ミカンが大好きな母親に食べさせようと思い、数個のミカンを取ってこっそり懐に隠しました。ところが、退出する時に挨拶をしたら、懐に隠したミカンが転げ落ちてしまいました。なぜミカンを隠して持ち帰ろうとしたのかと、袁術に聞かれた陸積は「ミカンを持ち帰り、母に孝行したかったからです。」と答えました。袁術は陸積の行いを称賛し、孝養を尽くすようにと励ましました。陸積の親孝行ぶりは朝廷にまで伝わり、後に太守に任命されました。


    • 王祥冰魚─氷に臥せって鯉を捕る
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    故事について─王祥冰魚─氷に臥せって鯉を捕る

    幼い頃に父親を亡くした王祥は大人になってから母親を大切にし、心を込めて世話をしました。それなのに母親は病気になってしまい、薬を飲ませても治りませんでした。冬になったら、母親が唐突に「鯉が食べたい」と言い出しました。王祥は湖のあちこちで鯉を捕まえようとしましたが、氷が張っているので魚を捕ることができません。王祥は天の神様にお祈りし、衣服を脱いで体温で湖の氷を溶かそうとしました。すると、湖を覆っていた氷に亀裂が入り、2匹の鯉が水中から跳ねあがったのです。大喜びで鯉を捕まえた王祥はその鯉で汁物を作って母親に食べさせました。それから間もなくして、母親はすっかり元気になったそうです。


    • 三顧草廬─三顧の礼
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    故事について─三顧草廬─三顧の礼

    後漢末期、群雄割拠の時代。劉備は智謀に長けた徐庶の助言に従い、関羽と張飛を連れて南陽の臥龍崗(現在の河南省南陽市)に赴き、そこに隠棲する賢士諸葛亮を自軍に迎え入れようとしました。1度目は3月で、庵で読書中だった諸葛亮は道童(道教修行中の少年)に「宴会に行ったので留守」だと嘘を言わせたので、三人は仕方なく引き返しました。8月になるとまた劉備が訪ねて来ましたが、今回も諸葛亮は適当な理由を作って道童にやんわりと断らせました。3度目の訪問時、劉備たちは草庵の前で部隊に下馬して待つように命じました。また道童が出てきて、諸葛亮は読書中だと三人に告げました。三人が庭で待っていると、ついに諸葛亮が立ち上がり、中に入るようにと勧めてくれました。その後、諸葛亮は天下の情勢を分析して戦略を立て、劉備とその後の蜀漢の軍師として活躍しました。


    • 雪夜訪戴─雪の夜に友を訪ねる
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    故事について─雪夜訪戴─雪の夜に友を訪ねる

    ある大雪の晩、王子猷(王徽之)は眠りから覚めてしまったので、部屋の窓を開けて、一人で酒を飲むことにしました。あたりが月明かりに照らされているのを見て、室内を歩き回りながら詩を吟じました。その時、唐突に友人の戴逵を思い出し、すぐさま小さな船に乗って戴逵の家へ向かいました。ところが、一夜明けて、戴逵の家の門前まで来た王子猷はそのまま引き返してしまいました。ある人になぜ帰ってしまったのかと聞かれた王子猷は「興に乗ってやって来たけれど、興が覚めたから引き返しただけだよ。何も絶対に戴逵に会わなければならないわけじゃないだろう?」と答えたそうです。


    • 文姫帰漢─蔡文姫の帰漢
    • 文姫帰漢─蔡文姫の帰漢
    • 文姫帰漢─蔡文姫の帰漢
    • 文姫帰漢─蔡文姫の帰漢
    • 文姫帰漢─蔡文姫の帰漢
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    故事について─文姫帰漢─蔡文姫の帰漢

    後漢末期は戦乱が頻繁に発生し、名臣蔡邕の娘の文姫(蔡琰)も捕虜として連れ去られてしまいました。その後、匈奴の左賢王に嫁ぐことになり、長い間北方で苦難に満ちた生活を送りました。その間に文姫は二人の子をもうけ、異民族を憎みながらも、自分が生み育てた子どもたちには深い愛情を注ぎました。ある日、漢族の使者がやって来て、文姫を漢に連れ帰ってくれることがわかりました。文姫は驚喜する一方で、幼い子どもたちとの別れを思い、心を痛めます。二人の子どもたちは文姫の衣服の裾をぎゅっと掴み、母親と別れたくなさそうでしたが、それでも文姫は故郷に帰りました。帰郷後、文姫は北方での十二年の歳月と、その間の憂いや哀しみを胡笳の琴曲とし、楽器の音色に乗せて自分の思いを緩やかに伝えました。


    • 虎渓三笑─虎渓で笑う三人
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    故事について─虎渓三笑─虎渓で笑う三人

    慧遠法師は三十年以上廬山で暮らしていました。一度もこの山を離れたことがなく、世俗と関わりを持つこともありませんでした。客人を見送る時、客人が虎渓を越えると、いつも虎が大きな声で吼えました。まるで慧遠に川を越えるなと警告しているようでした。ある時、慧遠は詩人の陶淵明と道士の陸修静を見送りに出ました。道理について語り合っていた三人はすっかり意気投合して、いつの間にか虎渓を過ぎてしまっていました。それに気づいた三人は思わず顔を見合わせて大笑いしました。

  • 故事について─後赤壁賦

    ある時、蘇軾は友人と月見をしながら詩を詠んだりしていましたが、おいしい酒と料理が無いじゃないかと唐突に残念な気持ちになりました。ちょうど友人が夕方捕った新鮮な魚があり、蘇軾の妻も家に酒があると言うので、酒肴を携えてまた赤壁に遊びに行くことにしました。蘇軾は赤壁の変化の大きな風景に驚嘆し、赤壁に登ってもっと近くでこの山を見ようと思いました。途中、険しい山林を抜け、一人で頂上まで登り切った時、思わず空を見上げて叫び、万物が自分と一緒に動いているように感じました。そしてこの自然に畏敬の念を抱き、悲しみと恐れが合い混じる感覚を味わいました。それから、蘇軾は船に戻り、水面で船遊びに興じました。すると突然、1羽の鶴が静寂を破って長く鳴きながら、蘇軾の乗る船の方へ飛んで来ました。翌日、蘇軾の夢に羽衣をまとった道士が現れました。ひょっとしてこのお方は夕べ見た鶴なのではないかと思い、夢から覚めた蘇軾は入口の扉を開けて道士を探しましたが、どこにもその姿はありませんでした。

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