メインコンテンツへ移動
:::

目も心も楽しませてくれる──娯楽としての絵図

「教化を成し、人倫を助ける」という重い使命はさておいて、その絵の世界に浸り切り、文学や戯曲、小説の場面を眺める楽しさは故事画ならではの魅力でしょう。「文姫帰漢」には、故国への思いと親族への情の板挟みになる哀しさが、「西廂記」には、恋に目覚めた頃の曖昧さや大胆さが、「帰去来辞」には、なかなか実力を発揮する機会に恵まれず、離職して失意のまま帰郷する開放感などが表現されています。これらの場面や文章での表現を、人の心に響く絵画へと転化した画家たちは、目も心も楽しめるもう一つの視点を物語に与えたのです。

この文字をクリックして、キーボード操作によるアルバム機能の説明を見る:
  • アップキー:写真選択を表示
  • アップキー:写真選択を非表示
  • レフトキー:上一張照片
  • ライトキー:次の写真へ
  • ESC鍵:アルバムを閉じる
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    • 伝 宋 李唐 文姫帰漢図
    伝 宋 李唐 文姫帰漢図_preview
     宋 李唐 文姫帰漢図
    • 絹本着色 冊
    • 全幅 縦59.6 横96.4cm
    • 故畫001114-1至001114-18
    • 重要古物

    この冊頁には、後漢の才女蔡文姫(162-229)の苦難に満ちた生涯が描かれている。蔡文姫は乱世の混乱の中、胡人に攫われてしまったが、南匈奴の左賢王に嫁いで二児をもうけた。それから12年後、曹操(155-220)が使者を派遣して蔡文姫を漢に連れ戻した。蔡文姫は胡笳(笛の一種だと言われる)の音色に合わせて琴曲を作り、自身の生涯を書いた詩文をつけたと言われる。それが「胡笳十八拍」である。蔡文姫の故事は人気が高く、様々な小説や戯曲などが作られ、「胡笳十八拍」も各時代の文人により書き換えられたり、内容を書き加えられたりしている。この冊頁は唐代の劉商(727頃-805頃)による版本で、文の下に内容に会わせた絵があり、「図文平行」の連環故事画に属する。「胡笳十八拍」は純粋な「忠孝を教える」作品ではなく、蔡文姫の選択は大きな議論を巻き起こした。このドラマティックな故事は多くの観客の同情や共感を呼び、この故事の場面や人物の気持ちを描きたいと思う画家も少なくなかった。宋金が対峙していた時代の雰囲気に促されるようにして描かれた画作で、眺めているだけでも十分に楽しめる。今日の絵本と異曲同工の妙がある。

    作者は李唐(1049頃-1130以降)と伝えられるが、その他の伝世作品の画風とは異なる。画面は破損が激しいが、非常に丁寧な描写から画家の力量がわかる。小さく描かれた人物が着ている衣服の模様に緩みがないことから、おそらくやや後の時代の南宋宮廷画家の作品だと思われる。

    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 伝 宋 陳居中 文姫帰漢図
    伝 宋 陳居中 文姫帰漢図_preview
     宋 陳居中 文姫帰漢図
    • 絹本着色 軸
    • 本幅 縦147.4 横107.7cm
    • 故畫000849
    • 国宝

    伝李唐「文姫帰漢」が十八開の冊頁で蔡文姫の生涯を表現したのに対して、この作品は立軸形式の「文姫帰漢」だが、「一つの場景」でこの故事が表現されている。作者が表現した段落は第十三拍の「傷別」に近く、餞別に酒を酌み交わす夫婦の姿が描かれている。間もなく家族が別れ別れになる場面である。しかし、伝李唐の版本に見える大勢の人々が涙している場景とは異なり、この立軸版「文姫帰漢」に描かれている、敷物の上に座って別れを惜しむ夫婦は異様に落ち着いている。文姫の腰にしがみついて離れない次男のほかは、誰もが感情を押し殺し、自分を律している。

    この作品の特徴の一つは、漢族の使節が描かれているだけでなく、胡漢の侍衛が混在している点である。研究者によれば、宋代の異民族に対する立場や外交情勢が反映されているという。服飾や道具類にも細緻な描写が見られ、胡人の文化への理解度や、接触する機会の多さが表れている。かつては南宋後期の宮廷画家陳居中(13世紀初頭に活動)の作品と伝えられていたが、研究者の推測によれば、12世紀の宮廷で制作された佳作だと思われる。

    故事について─文姫帰漢

    後漢末期は戦乱が頻繁に発生し、名臣蔡邕の娘の文姫(蔡琰)も捕虜として連れ去られてしまいました。その後、匈奴の左賢王に嫁ぐことになり、長い間北方で苦難に満ちた生活を送りました。その間に文姫は二人の子をもうけ、異民族を憎みながらも、自分が生み育てた子どもたちには深い愛情を注ぎました。ある日、漢族の使者がやって来て、文姫を漢に連れ帰ってくれることがわかりました。文姫は驚喜する一方で、幼い子どもたちとの別れを思い、心を痛めます。二人の子どもたちは文姫の衣服の裾をぎゅっと掴み、母親と別れたくなさそうでしたが、それでも文姫は故郷に帰りました。帰郷後、文姫は北方での十二年の歳月と、その間の憂いや哀しみを胡笳の琴曲とし、楽器の音色に乗せて自分の思いを緩やかに伝えました。


〈胡笳十八拍〉故事について
第一拍
  後漢末期、漢帝国は財政が逼迫し、各地の庶民は生活苦に耐えられず、叛乱が勃発しました。暴動鎮圧のために権力を獲得した董卓は、もともとは地方長官でしかなかったのですが、軍事力を背景に次第に野心を抱くようになり、朝政を意のままに操ろうとしたため、天下は大いに乱れました。蔡文姫は正にその戦火が拡大した時代に生まれ育ち、興平2年(195)、戦乱に乗じて侵入してきた南匈奴に連れ去られてしまいます。『胡笳十八拍』の作者の劉商は蔡文姫の視点で十八首の詩文を書きました。蔡文姫の物語は胡人の地へ連れ去られたその日から幕を開けます。
第二拍
  北方に攫われていく途中、文姫は諦めて死を選ぼうとしましたが、できませんでした。異民族との生活は耐え難く、危険に満ちた道にも様々な障害がありました。北方に続く道は気候も厳しく、胡人の国へ近づくにつれて痩せた土地が増え、貧しくなっていきました。鉛色のどんよりとした空が遙か遠くまで続き、空を飛ぶ鳥の姿も見えず、砂埃が多く混じる空気が進むべき方向を見失わせます。
第三拍
  まるで檻に閉じ込められているようで、文姫は不安で一杯でしたが、そんな気持ちを言える場所はどこにもありませんでした。精も根も尽き果てた文姫は髪も切り落とし、肉も血もない抜け殻のまま生きているようでした。こんなことなら、自尽した方がまだましだ、敵の異民族の妻になるなど嫌だと言います。文姫は自身の美貌が招いた不幸を嘆き、今はただ水のように弱々しい身体を哀しむしかなく、この禍に抗う術はありませんでした。
第四拍
  北への旅は果てしなく長く感じられ、自分の国がどこにあるのかすらわからなくなりました。攫われたあの日から恐怖に捉われた文姫の気持ちは暗く沈み、精神の消耗は天候のひどさよりも遙かに深刻なものでした。毎晩のように故郷の風景が夢に現れては消えましたが、朦朧とした中で何を伝えられるというのでしょうか。果てしなく広がる異国の空の下、どんなに叫んでもその声は届きません。文姫は明るく輝く漢の月ならきっと私を見ていてくれると思いました。
第五拍
  異民族は一箇所に定住せず移動を繰り返します。文姫が着ていた漢の衣装も風に吹かれてボロボロになってしまいました。異民族は羊脂で髪を洗いますが、髪をとかしません。子羊の皮で衣服を作り、衿は左前で、漢の習慣とは違います。異民族の衣服は獣の匂いが強く、昼間は着て歩き、夜は身体にかけて眠ります。移動式の家はしばしば場所を換え、定住はしません。このような日々に蔡文姫は苦痛を感じ、永遠に続くかのように思いました。
第六拍
  北方の春は短く、あっという間に過ぎてしまいます。この地に花は育たず、南方でよく見かけた柳の木もありません。月日が流れ、北斗星の柄が真南を指している今、もう夏至になったのだとわかります。文姫の暮らしも激変しました。長い月日が過ぎても文姫は異民族の言葉がわからないので、誰かと話すこともできず、身振り手振りで伝えるしかありません。
第七拍
  辺境の地では、男女ともに弓矢を携え、馬と羊は霜の上で眠ります。自由を失った蔡文姫は仕方なく、なんとかその日を過ごしているだけでした。異民族の侍従が奏でる楽器の音色を聴いても、ただ深い哀しみと恨みを感じるだけでした。空には雲一つなく、夜空には月が高く昇っています。文姫はいつの日かまた故郷を目にする日が来ることを願いました。
第八拍
  蔡文姫がまだ漢の家にいた頃、遠方から手に入れた珍しい鳥を飼い慣らしたことを思い出しました。異国の地にいる今、なぜあの鳥を自由にしてやらなかったのだろうと後悔しました。北風が吹きすさび、太陽は寒さの中に沈んでいきます。星が瞬く夜空の色が変わり、また夜明けが訪れようとしています。文姫は昼も夜も漢の地を思いましたが、帰郷は叶いません。まるで籠の中の鳥のようで、憂鬱な日々を過ごしていました。
第九拍
  その年、単于(匈奴の君主)は蘇武を北海に追放し、もう蘇武は死んでしまったと偽の情報を伝えました。漢の使者が単于に、漢の皇帝が狩猟をしている時に蘇武が雁の足に結んだ書信を手に入れたと報告すると、単于は蘇武がまだ生きていることを漏らし、帰国を許しました。この蘇武の話を知った文姫は積年の恨みを込めて血書をしたためました。しかし、残念なことに、匈奴の少年らは騎馬や狩猟を好んだので、辺境の雁たちは人を恐れて飛んでいってしまい、手紙を故郷に届けることはできませんでした。
第十拍
  文姫は匈奴を憎み、異国の地を嫌っていましたが、それでも左賢王との間に二人の子どもをもうけました。文姫は胡人として生まれた子どもを捨ててしまいたいと思いましたが、知らぬ間に母子の情が生まれていました。子どもの顔つきも話す言葉も違うので、時には嫌悪感を抱き、時には愛しいと思う気持ちが溢れました。日々、子どもたちの成長を見守っているうちに、自らの手で育てた子との間に切っても切れない絆が生まれていました。
第十一拍
  異国で幾度も日が昇り月が落ち、長い年月が過ぎました。氷が張るのを待ち、草が枯れると、蔡文姫はまた一年が過ぎたのを知りました。ここは故郷とは違い、太陽も月も星も暦とは関係がありません。行き交う鴻雁(渡り鳥)や月の満ち欠けを眺めているうちに、哀しくも時は流れすぎてゆきます。
第十二拍
  時が経つにつれて、故郷を恋しく思いながらも、帰郷はほぼあきらめていました。まさかその日、はるばるやって来た使節が文姫について尋ね、自分を連れ帰ってくれるという良い知らせを伝えに来たとは夢にも思いませんでした。蔡文姫は自分がもう故郷に帰っている夢をよく見ました。夢から覚めるとがっかりしました。でもその夢が現実になった今、驚きと喜びの後に受け入れがたい哀しみが押し寄せてきました。
第十三拍
  別れのその時、匈奴の侍従に抱かれた次男は文姫にしがみつき、長男は文姫の衣服の裾をぎゅっと掴みました。母親と離れたくない子どもたちの深い悲しみが伝わってきます。今後も一緒にいられる可能性はなく、時間を引き延ばしても辛くなるだけです。帰国前の別れは離れがたく、家族にとって辛く切ないものでした。それでも文姫は旅立たねばなりませんでした。子どもを捨てて自分の国へ帰るのです。今後は遠く隔てられて、二人の息子たちの消息を知る術もないことを思い出し、沈む太陽を見ながら涙を流し、後ろ髪をひかれつつ帰国の途につきました。
第十四拍
  子どもたちとの別れを選んだ文姫でしたが、自分の子供たちが異民族であることを恥じたりはしていませんでした。文姫と息子たちの気持ちは全ての親子の情と全く同じで、子どもたちとの別れの痛みも同様でした。手の指に喩えるならば、指の長さは違っても指を切られる痛みは変わりません。その一方で、文姫は久しく連絡を取っていない家族のことを思い出しました。まるで心の中に南方の故郷から風が吹きこんできたかのようです。この帰郷を願う気持ちも風と共に遼河を渡り、故郷に向かって駆けて行きました。
第十五拍
  故郷へ帰る道すがら、行き場のない哀しみが溢れてきました。自分が異郷に攫われた時はあれほど恨みに思ったのに、故郷に帰ろうとしている今、耐え難い哀しさが溢れてきます。複雑な気持ちは鋭利な刀剣のように心を乱します。哀しみと喜び─相反する感情が入り乱れました。この矛盾した気持ちは異民族との間に子をもうけ、仇敵とも信頼や恩情で結びついたことから来ているのです。
第十六拍
  異国の地に攫われた時、文姫は広がる空を薄暗く思うばかりでしたが、帰郷できることになった今、長い道のりは果てしなく遠く、異国の広大さを強く感じていました。途中で砂嵐に巻き込まれましたが、秋の空を飛ぶ雁を頼りに、漢の使者と文姫は南へ向かって進みました。馬の足はいまだ止まらず、辺境の道に他の旅人の姿も見えず、野草はすでに黄色く枯れていました。
第十七拍
  漢の使者と文姫は辺境の地を進み続けましたが、いまだに黄色い砂と白い雲が見えるばかりでした。寒さは厳しく、飢えた馬は雪を掘って草の根を食んでいました。人間は喉が渇いたら川に張った氷を割り、水を汲んで飲みました。長い旅路も次第に終わりに近づいていました。太鼓を打ち鳴らす音が聞こえるにつれ、文姫は国境を警備する漢王朝の軍営が見えるような気がしてきました。文姫はもう少し先に行けば、漢帝国が治める故郷があると自分に言い聞かせました。そして、自分の幸運を喜び、匈奴が占領する異郷で命を落とさなくてよかったと思いました。
第十八拍
  蔡文姫はついに帰郷を果たしました。田畑の半分は荒れ果てていましたが、春の訪れが草を青々と茂らせていました。長い歳月を経て故郷に戻れた時、蝋燭に再び炎が灯されたような、泥の中に沈んだ玉石が冷たく清らかな水で洗われるかのような気持ちがしました。蔡文姫は漢の儀礼通りに手ぬぐいと櫛を使って身体を清めました。攫われた異国からようやく漢に戻れましたが、すでに12年の歳月が流れていました。文姫は尽きることの無い哀しみを胡笳琴曲に込めて、楽器の音色に合わせて自分の思いを緩やかに伝えました。
TOP