絵図に描かれた物語の見分け方
その絵が何を「伝えている」のか見極めるポイントは人物の表情でしょうか?造形?動作?道具?それとも場景でしょうか?こちらのコーナーには、どの物語が描かれているのか判別しにくい作品を展示しています。なぜそれほどわかりにくいのでしょうか?画家の表現がありきたりで無個性だからでしょうか?判別の鍵となる部分が見落とされがちだからでしょうか?それとも、その絵に描かれている故事の内容が現代人が理解可能な範囲を超えているからでしょうか?その物語のテーマが確定できないとしても、画面に残された手がかりから考えられる物語を繋ぎ合わせてゆくという、なんとも言えない楽しさがあります。
- 宋人 卞荘子刺虎図
- 絹本淡彩 卷
- 本幅 縦39 横169.1cm
- 故畫001006
- 重要古物
魯国大夫の卞荘子(生没年不詳)は勇猛さで知られていた。ある時、2頭の虎が負傷した牛を食べようとして争っている場面に遭遇し、剣を抜いて虎を刺そうとしたが、そこにいた人が「まずは虎同士で争わせてから手を出したほうが簡単だ。」と勧めた。卞荘子はその勧めを聞き入れ、1頭の虎を相手にするだけで2頭の虎を手に入れることができた。この故事は『戦国策』及び『史記』に収録されている。「一挙両得」の典故である。
この作品に落款はない。かつては李公麟(1049-1106)の作と伝えられていたが、名を借りたものと考えられる。用筆は精細だが、線は力強い。主人公の勇猛果敢な様子や、絡み合いながら闘う2頭の虎の姿が丁寧に描写されており、生き生きとして見える。
- 伝 宋人 画問喘図
- 絹本墨画 卷
- 本幅 縦21.7 横118.1cm
- 故畫001007
- 重要古物
この作品に描かれた故事は『漢書』に収録されている。漢代の宰相丙吉(?-紀元前55)が外出した際、死傷者が出るほどの喧嘩騒ぎに遭遇したが、全く気にすることなく素通りした。しかし、道端で牛が舌を出して喘いでいるのを見ると、わざわざその理由を詳しく尋ねた。気候の変化や民人の暮らしぶりを知るためだった。後に丙吉は「政に勤しみ民を大切にする」役人の代表的人物とされた。
筆墨に潤いがあり、人物の周囲には雲霧が立ち込めている。人物の配置は簡潔で、丙吉が喘ぐ牛について質問する故事に焦点が当てられている。古くは宋人画と伝えられていたが、物象の描写を見ると、表情も豊かで生き生きとしているが、筆墨はやや簡素にすぎる。巻末に元代王逢(14世紀)の題跋があることから、或いは元人の作かもしれない。
故事について─問喘
ある日、漢代の丞相丙吉が外出すると、路上で死傷者が出るほどの喧嘩騒ぎに遭遇したにもかかわらず、丙吉は何も言わずに通り過ぎてしまいました。もう少し行くと、今度は牛を追う人に遭遇しましたが、牛が舌を出してぜえぜえと喘いでいたので、丙吉はわざわざ人に命じてその理由を詳しく尋ねさせました。丙吉に随っていた役人は、丙吉が喘ぐ牛にだけ関心を寄せ、死傷者について何も聞かなかったのを見て、状況がまるでわかっていないと嘲笑しました。しかし、丙吉は次のように答えました。「庶民の喧嘩の処理や罪人の逮捕は長安県令や長官の京兆尹の職務である。自分はその仕事ぶりを評価すればいいだけなので、そのようなことを街角で問い質す必要はない。しかし、まだ春なのに少し歩いただけの牛が暑さで息を切らしているのは心配なことだ。気候に異変があるかもしれず、人々の暮らしに悪い影響を与える恐れがある。気候の変化や陰陽の調和を気にかけるのは丞相の職務であるから、牛について尋ねたのだ。」それを聞いた侍者は敬服して、丙吉こそ道理をわきまえ、大局を見通せる丞相だと思いました。
- 宋 芸林集玉 冊 無款虎渓三笑図
- 絹本着色 冊
- 本幅 縦26.4 横47.6cm
- 故畫001296-1
- 重要古物
「虎渓三笑」は陸修静(406-477)と陶淵明(365-427)が慧遠(334-416)を訪ねた故事である。三人が歓談している時、慧遠が「客人を見送るにも虎渓を越えない」という誓いをつい破ってしまった。この故事は広く流伝し、後に考証によっておそらく虚構であるとされたが、三教が調和する理想的な世界が表現されている。
背景には大きく曲がりながら流れる川が描かれており、天を仰いで大笑いする三人に焦点が当てられている。背景の樹木は葉を赤く染め、落ち葉が地面を覆う、秋らしい景色となっている。人物と山石、樹木の用筆は鋭角的で整然としており、南宋の風韻が十分に感じられる。
故事について─虎渓三笑
慧遠法師は三十年以上廬山で暮らしていました。一度もこの山を離れたことがなく、世俗と関わりを持つこともありませんでした。客人を見送る時、客人が虎渓を越えると、いつも虎が大きな声で吼えました。まるで慧遠に川を越えるなと警告しているようでした。ある時、慧遠は詩人の陶淵明と道士の陸修静を見送りに出ました。道理について語り合っていた三人はすっかり意気投合して、いつの間にか虎渓を過ぎてしまっていました。それに気づいた三人は思わず顔を見合わせて大笑いしました。
- 清 金廷標 濠梁図
- 紙本着色 軸
- 本幅 縦165.4 横95.4cm
- 故畫002812
この絵には荘子(紀元前369頃-286)と恵施(紀元前370頃-310)の「濠梁之弁」という故事が描かれている。二人は通りかかった橋の上で、川にいる魚は楽しいのか、なぜ魚が楽しいかどうかわかるのか、相手が魚が楽しいかどうか知っているのをどうやって知れるのかを議論する故事である。
この絵の二人は水辺に立っており、衣服の帯やひげが風に吹かれて翻っている。議論しようと口を開き、一人は少し顎を上げ、高所から下を見下ろしている。お互いに納得できない議論を再開しようとしているかのように見える。手前に聳え立つ幹の捩れた柏の古木が、この場面に激論中の雰囲気を添えているかのようだ。清代の宮廷画家だった金廷標(?-1767)は人物や花卉、山水画を得意とし、乾隆帝(1711-1799)に非常に好まれた。