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新しい時代の行楽

 20世紀以来、近代的美術教育に取り入れられた「野外写生」は、西洋画家に欠かせない訓練となっただけでなく、真実を追究する科学的な行為とみなされ、画家たちは揃って写生に取り組むようになりました。伝統的な画材を使って作画をする国画家も写真撮影で風景を捉えるだけでなく、「古法写生」という概念まで打ち出して、実景を観察する中で、古人の筆法の成り立ちを理解しようとしました。「写生」に対する重視は、国民政府が積極的に進めていた鉄道と公道の建設、名勝への観光旅行推進政策と結び付きました。政府は観光ルートを整備し、芸術家を招いて紀行詩文や旅の風景画、旅にまつわる書法作品の制作を依頼したため、個人旅行の記録─黄山や雁蕩などの名山への旅を題材とする作品も増えていきました。また、民国成立(1912)以降は、政局の動乱や日中戦争の勃発(1937-1945)により、画家たちはかつて訪れたことのない地へと導かれ、新しく描かれるようになった景勝もまた増えたのです。

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  • 民国 張善孖 松樹老人

    • 形式:軸
    • サイズ:123.2x50.9 cm

     張善孖(1882-1940)、名は沢だが字で知られた。四川省内江市出身。虎の絵に優れていた。張大千(1899-1983)の次兄。

     この作品には黄山の天都峰が描かれている。年款はない。広く塗りつぶされた山壁や図案のような雲に新しさがある。この絵の松と老人のイメージは、黄山の名勝の一つ「蒲団松」を思わせるが、この松の根元は「蒲団松」とは違って捻じ曲がっている。黄山の松の特徴を合わせて絵にしたのだろう。張善孖と張大千兄弟は1927年に初めて黄山に登った。まだ登山道もなかった民国初期に黄山を開発した創始者でもある。

  • 民国 祁崑 黄山雲海

    • 形式:軸
    • サイズ:131.2x67.4 cm

     祁崑(1904-1944)、号は井西居士、北京出身。斧劈皴を用いた山石を得意とし、北京と天津画壇で活動した。

     1933年に杭徽公路が開通すると、黄山も観光しやすくなった。1936年に制作された本作は、当時、天津大陸銀行総経理だった許福昞(1882-1961)の黄山旅行を記録した絵である。北海散花塢の風景が描かれており、右は「夢筆生花」、左は筆架峰、遠景は上昇峰─いずれも黄山の代表的な名勝である。写真を見ながら描いた絵なのか、上昇峰が実際よりも高く、遠方に描かれている。

  • 民国 夏敬観 観瀑図

    • 形式:軸
    • サイズ:103x47.7 cm

     夏敬観(1875-1953)、字は剣丞、号は吷庵、江西省新建区出身。近代の著名な詞人、書画家。

     1940年に制作された本作には、浙江省徳清県境にある莫干瀑布が描かれている。春秋時代(紀元前770-476)の刀匠干将と莫耶が鋳剣した地と伝えられるが、浙江省南潯出身の文人周慶雲(1866-1934)が、1926年に古い記録や地形を元にそのように定め、『莫干山志』を著したのである。この地の観光スポットの多くは周慶雲により開発されたもので、民国前期に新しく誕生した名勝「古蹟」である。

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