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廬山の真の姿

 「廬山」─またの名を「匡廬」。江西省九江市内に位置する廬山は、特殊な地形や風景で知られ、歴史ある景勝地です。早くも5世紀には、廬山を主題とした絵が描かれていました。では、実景を題材とするなら、実際の風景を見ながら写生しなければならないのでしょうか。観点上、どのような制約を受けるのでしょうか。唐代の詩人李白(701-762)が廬山の瀑布を形容した名句─「飛流直下三千尺、疑うらくはこれ銀河の九天から落つるかと」によって、廬山の標準的なイメージが作られたことは間違いありません。沈周(1427-1509)の「廬山高」は、文学作品のイメージを元に想像で描かれた作品です。銭維城(1720-1772)は知識を元に、廬山一帯に数ある名勝を一幅の絵にまとめて描きました。祁崑(1894-1940)の「廬山憶旧」のように、視覚から得た印象を記録した作品は、近代になってから増えました。どの絵が廬山の真の姿を表しているのでしょうか。呂寿琨(1919-1975)の「烏来瀑布」は、私たちの記憶に深く刻み込まれた古典的名作を思わせ、私たちが実景を見る時の見方を定型化します。

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  • 明 沈周 画廬山高

    • 形式:軸
    • サイズ:193.8x98.1 cm
    • 国宝

     沈周(1427-1509)、字は啓南、号は石田、長洲(現在の江蘇省蘇州市)の人。明四大家の筆頭。

     成化3年(1941)に、師である陳寛の古希祝いに描かれた作品。山の崇高なイメージを借りて師匠の徳行を表している。元代の王蒙(1308-1385)の風格を取り入れ、乾筆で皴擦を重ねることにより、画面に流れる気勢に繋がりをもたせている。前景の流れ落ちる滝を見上げる人物は、李白の「望廬山瀑布」の詩意を元にした創作だろう。画中の桟道は何を参考にしたのか定かではないが、実際の風景には存在しないはずの眺めである。

  • 民国 祁崑 廬山憶旧

    • 形式:軸
    • サイズ:109.4x50.6 cm

     祁崑(1904-1944)、号は井西居士、北京出身。民国初頭の北京画壇を代表する画家金城(1878-1926)が創設した中国画学研究会に参加。青緑山水画を得意とした。

     思い出の中の廬山を描いた、1943年制作の作品。樹木が枝を広げる前景を見ると、実際の風景を写真に撮ったか、画像や写真のトリミングに影響を受けたようにも見える。瀑布を主体としておらず、よくある廬山の描き方とは異なっており、自分の目で見た風景に補足したものなのかもしれない。着色は清らかで秀雅な趣があり、緑滴る山河が一際美しく見える。

  • 民国 呂寿琨 烏来瀑布

    • 形式:軸
    • サイズ:272.5x68.5 cm
    • 梅倩萍氏(呂寿琨夫人)寄贈

     呂寿琨(1919-1975)、広州出身、1948年に香港へ転居。「新水墨運動」の領袖的人物で、画壇に大きな影響を与えた。

     1972年の作品。香港大学で行われた国画(中国伝統絵画)の公開講座で、伝統技法の模範を示した際に描かれた習作である。主題は台湾新北市の烏来瀑布だが、沈周「廬山高」の構図を用いており、前景は烏来の下町に換えられている。数々の作品に登場する廬山瀑布を烏来瀑布に置き換え、古人の筆墨が持つイメージを通して外在世界を見る─その手法を学習者に示した作品である。

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