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文物の遷移

 1948年十一月,淮海戦役(国共内戦中の中華民国国軍と中国共産党の中国人民解放軍による戦闘)が始まり、南京はかなり危うい状態に置かれました。そこで故宮博物院と中央博物院準備処理事会は、それぞれ文物の遷移を議決。選り抜きの文物を台湾に分けて運ぶことにしました。1949年二月下旬、両院の文物3,824箱は前後三回に分けて台湾に運ばれ、暫時台中製糖工場の倉庫に保管されました。八月になり、行政院は戦時環境の全てに対応すべく、故宮博物院と中央博物院準備処を国立中央博物図書院館聯合管理処(略称:聯管処)に納入し、教育部が統括し、元々あった組織を改めて組を設け、故博組、中博組としました。翌年(1950)五月、行政院は両院理事会を改組し、共同の理事会を成立。職権を代行しました。

    台中製糖工場の倉庫
    台中製糖工場の倉庫に保管された文物の箱の実景
    故宮博物組スタッフの台中製糖工場の倉庫での作業状況
    中央博物院準備処組スタッフの台中製糖工場の倉庫での作業状況
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