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遠方への旅立ちと別れ

交通手段が限られていた古代は往来も容易ではなく、離れ離れになると再会は困難だったため、別れを意味する詩文や書画を贈るのが一般的な慣習になっていました。例えば、王紱(1362-1416)の「鳳城餞詠」は同僚のために描いた作品で、出立を祝う詩文がびっしりと書き込まれています。王原祁(1642-1715)が友人のために描いた「倣黄公望秋山図」は、遙か遠くに隔てられ、再会を果たすことの難しさを悲しむ当時の人々の気持ちが伝わってきます。
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  • 明 王紱 鳳城餞詠

    故畫384  
    紙本

    この絵は王紱(1362-1416)が、間もなく帰郷する翰林院の同僚のために描いた作品である。前景になだらかな岸辺があり、そこに生える樹木や岩石の後方に立つ東屋では、三人が卓を囲んで送別の宴を催している。岸辺に停泊している船は客を故郷へ送るため、すでに出発の支度を整えている。遠方には山々が連なり、山石の質感が捩れた線を交錯させた皺筆で表現されている。墨色の濃淡が交互に重なる中に、清雅な趣と秀潤な雰囲気が漂う。上部の余白に送別の詩句が多数書かれており、その詩意から季節は秋だったことが知れる。

    この山水画は惜別の情が表現されているだけでなく、文士たちの間で詩画を贈り合う文化があったことを示している。明代は餞別に絵を贈るのが大いに流行した。この絵は送別図の典型例である。

  • 清 王原祁 倣黄公望秋山図

    故畫746  
    紙本

    王原祁(1642-1715)、字は茂京、号は麓台、山水画に優れ、祖父の王時敏(1592-1680)、王鑑(1609-1677)、王翬(1632-1717)とともに「四王」と並び称される。画上の款識によれば、王原祁は黄公望(1269-1354)の「秋山図」を目にしたことはなく、この絵は黄公望への憧憬の念を込め、友人の餞別に描いた作品である。

    この絵に描かれた山は近景の岸辺から遠方まで連なり伸びている。山々の間に雲気が漂い、樹木が生い茂っている。川は折れ曲がり蛇行しながら流れている。作者は淡雅な青緑や赭色などを用いて山石を描いている。また、木の葉には朱色を使い、作品全体を色彩豊かで活力に溢れたものにしている。

  • 清 陳書 倣王蒙山水

    故畫2526
    紙本

    陳書(1660-1736)、号は上元弟子、晚号は南楼老人。清代の著名な女流画家で、その山水画の多くは元代の王蒙(1308-1385)に師法している。これは晩年の作品で、作者の孫にあたる銭汝誠(1722-1779)が、北京で皇帝への謁見を済ませて帰郷する官員に餞別として贈ったものである。

    聳え立つ高山の山頂から蛇行しながら滝が流れ落ち、山裾には松林が生い茂っている。山体は細密な墨線で描いてあり、そこに濃墨による点苔が加えられ、筆意は連綿として、秀雅かつ細緻な画風が見られる。岸辺に川を眺める人物が一人おり、詩句の意味と重なっている。

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