覚翁書画─傅狷夫氏ご遺族による寄贈作品特別展,展覧期間 2017/1/25~2017/4/25,北部院区 第一展覧エリア 105、107
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心香伝芳─師承と家学、交友関係

 傅狷夫は書法の名家に生まれました。篆書に優れていた父の傅御(字は守型)の影響で書画に興味を抱くようになりました。長男の傅励生(1946-)も篆刻を好み、夫人の席徳芳も梅画を得意とする画家です。毎年、大晦日に二人は必ず合作するなど、風雅を好んだ家風がうかがえます。師である王仁治(字は潜廔)は清代の拔貢(清代の人材選抜制度)で、書画ともに優れていました。その姿勢と学識は後に弟子を抱えるようになった傅狷夫に大きな影響を与えました。

 傅狷夫の画室は創作の場であっただけでなく、友人と語らい、教え子を指導する場でもありました。重慶、上海時代には「耐煩室」呼ぶことが多く、来台以降は南港に居を構え、「心香室」または「有所不為齋」としばしば記しました。民国61年(1972)に復旦橋の近くに転居すると、その家を「復旦楼」と呼び、新店の小さな家は「納山楼」と呼びました。友人たちから贈られた多数の扁額を見ると、友人らに囲まれたにぎやかな様子が目に浮かぶようです。

 早年の書画印の多くは父の手によるものですが、来台後に使用した印章は友人の王壮為や曽紹杰(1910-1988)、陶寿伯(1902-1997)、呉平らが制作したもので、教え子の作品も少なくありません。これらの書画印は台湾近半世紀における篆刻発展の縮図だとも言えます。こちらのコーナーでは、傅狷夫の家学や師承、交遊関係、印章など、多方面から展示を行い、古典を継承しつつ芸壇の発展を導いた傅狷夫の絶大な影響力を作品を通してご覧いただきます。

群鶴二

  1. 民國 傅狷夫
  2. 形式:單片
  3. 133.8x136.2

 傅狷夫は鶴を好んで描いたが、常に自らの技量不足を感じて満足せず、生前は一度も公開しなかった。

群鶴二

淵明松菊

  1. 民國 傅狷夫 1974年
  2. 形式:軸
  3. 128.2x50.8

 王仁治(1869-1932)、字は潜廔、号は冷公、浙江杭州(現在の浙江省杭州市)の人。西泠書画社の社長で、傅狷夫の絵画の師。四王を学んだ王仁治の筆致には清雅な趣がある。

  

淵明松菊

「棲心覚岸」と「浪跡芸壇」印

  1. 民國 王壯為
  2. 3.6x3.6x8.7 cm

 王壮為、本名は沅礼、斎名は玉照山房、河北省易県出身。篆刻家として名高く、「海嶠印集」と「中華民国篆刻学会」を設立し、台湾の篆刻界に大きな影響を与えた。傅狷夫が来台後に使用した印章の多くが王壮為の作である。

  

「棲心覚岸」と「浪跡芸壇」印