晩年、傅狷夫はアメリカで暮らしました。カリフォルニアの自宅前に2株の樺樹(カバノキ)があったことから、画室は「樺樺草堂」と名付けられました。1992年にフリーモント市(Fremont)に転居し、町の名前との語呂合わせで、書斎は「飛夢草堂」と名付けられました。傅狷夫は生涯を通して途切れることなく創作を続け、老年期にも佳作を発表し、しばしば自らの心境として「棲心覚岸、浪跡芸壇」と記しています。80歳以降の画風は強靭さを増し、より一層自在な筆致が見られるようになりました。「書万壑松風絶句」は細部に捉われず舞い飛ぶような力強い筆致が見られます。「臨石門銘聯」は卓抜した表現力が見られ、早年期に学んだ碑学で培った実力をいかんなく発揮しています。晩年の画作は独特の創意と気迫があり、「黄河」という作品には画面全体に岸辺に強く打ち付ける雄壮な荒波が描かれています。「晨曦」は雲水が交わる中、高潔晴朗な眺めと、光明が燦々と輝くイメージが表現されています。