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宮廷の庭園と詩意

 南宋宮廷の庭園は詩意に満ちていました。庭園内の建物の名称にも詩文を用い、名家の詩句を取り入れて、優雅な雰囲気やロマン溢れる唯美的な情趣が意図的に作られていました。皇家の宮廷での活動も詩文の情景を模倣したもので、その詩に表現される境地を味わいました。伝世の小品絵画には、宮苑で交わりつつ融合する一時と永遠が表現されています。

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    • 宋 馮大有 太液荷風
    宋 馮大有 太液荷風
    宋 馮大有 太液荷風
    • 国宝

     この絵は無款だが、旧籤題には馮大有(12世紀に活動)作とある。馮大有は江蘇蘇州の人、怡斎と号し、官は承事郎に至った。
     池を埋め尽くす蓮の葉が上下に翻り、赤と白の花が咲く、麗しい眺めが描かれている。上方にはツバメが飛び、チョウが舞い、カモの群れが悠々とエサを啄ばんでおり、生気溢れる画面となっている。籤題の「太液荷風」は書幅と画幅を並べて見ることから来ている。対幅に高宗が書した唐代王維(699-761)の「秋思」という詩がある。その中の「太液」という言葉の出典は『史記・封禅書』で、「太液」は漢武帝(紀元前156-紀元前87)の太液池のことだが、後に皇宮庭園の池を指すようになった。文献によれば、南宋孝宗(1127-1194)は池に赤と白の蓮の花を大量に植えたという。美観を保つために、蓮を鉢に分けて植え、それを池の底に並べて、簡単に取り替えられるようにした。白と赤の蓮の花が入り混じるように咲いており、南宋宮苑が作り上げた美感を画中に見ることができる。

    • 宋 馬麟 秉燭夜遊
    宋 馬麟 秉燭夜遊
    宋 馬麟 秉燭夜遊
    • 国宝

     画幅の右下に「臣馬麟」という款がある。馬麟(1180頃-1256以降)は寧宗、理宗朝に仕えた宮廷画家である。
     宮苑の六角重檐攢尖亭閣の造形は美しく、両側から外に向かって回廊が伸びている。この絵の主人公は椅子に腰掛け、庭園の花や木々を眺めている。園内には燭台が立ち並び、上空に輝く月が朦朧とした夜を照らしている。北宋蘇軾(1037-1100)の詩「海棠」の一節「只恐夜深花睡去、故焼高燭照紅妝」のイメージが描かれている。南宋の禁苑では花見が流行した。『乾淳歳時記』には、孝宗(1127-1194)が禁中で海棠の花見をした「照妝亭」という場所が記載されており、皇城の宮苑は蘇軾の詩句から命名されたことが知れる。この絵には、夜間の花見という風情溢れる皇室行事の情景が描写されている。

    • 宋 李嵩 月夜看潮
    宋 李嵩 月夜看潮
    宋 李嵩 月夜看潮
    • 国宝

     南宋の首都杭州は銭塘江に面している。当時は中秋の晩に江潮(潮津波)を見物するのが年中行事の一つだった。画中に壮麗な建物が描かれている。川に面して聳える単檐歇山の2階建て楼閣には、物見台と折れ曲がった回廊もある。庭園には庭石が重なり、仮山も見える。そこで活動している人物らも描かれていたが、残念ながら長い年月を経て色が剥げ落ちてしまい、はっきりと見えない。
     画上に寧宗后(在位期間:1195-1224)と楊皇后(1162-1233)が書いた蘇軾(1037-1101)の「八月十五看潮」の一節があり、「坤卦」という方印が押してある。左下には「臣李嵩」と書かれた款がある。李嵩は光宗、寧宗、理宗の三朝(1190─1264)に仕えた宮廷画家で、特に台閣界画を得意としていた。

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