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皇帝の題詩

 宋代は文治主義により国が治められ、皇帝は芸文の素養や翰墨を重んじました。南宋の皇族の多くが代々能書家で、書法にも造詣が深かったようです。皇帝は名家の詩詞や賦詩、題詠を熟知しており、臣下に宸翰を下賜したのみならず、宮廷絵画作品にも皇帝が書き入れた題が見られます。皇室は詩画融合の芸術的風潮に積極的に関わり、それを主導したのです。

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    • 宋 高宗 書七言律詩
    宋 高宗 書七言律詩
    宋 高宗 書七言律詩
    • 重要古物

     宋高宗(1107-1187)、涿郡(河北省保定市)の人、名は構、字は徳基。父の徽宗と長兄の欽宗が金軍に攫われたことから建康で即位。これが南宋の起源となった。教養豊かだった高宗は書法にも造詣が深く、著書に『翰墨誌』がある。
     この作品は行楷体で唐代杜甫の「即事」という七言律詩が書かれており、最後に草書で「賜億年」と署名してある。用筆は中鋒円筆を保ち、肩の部分は円転が多く、ハネと逆筆はやや鋭い。運筆の速度は緩急ほどよく、結体もバランスよく整っている。高宗は早年に黄庭堅を学び、後に二王を学んだ。宋朝の書家は晋代と唐代の端正かつ荘厳な雰囲気の書風を改めて、趣の深さを尊んだが、高宗は伝統に回帰している。

    • 宋 無款 蓬窓睡起
    宋 無款 蓬窓睡起
    宋 無款 蓬窓睡起
    • 国宝

     そよ風が水面を渡り、風を受けた柳が枝を揺らしている。岸辺に停泊した漁舟には、目覚めたばかりの白衣の漁師がいて、遠方まで広がる水面に向かって身体をのばしており、ゆったりとしてのどかな雰囲気が漂う。本作は無款だが、孝宗(1127-1194)が書いた、南宋の初代皇帝高宗(1107-1187)作の「漁父詞」がある。
     絵画に見られる「漁父」は「漁隠」を意味していることが多い。皇帝はその国で最も高貴な存在だが、何の憂いも悩みもない漁父の暮らしを羨んだ。そこには名利を追わず、悠々自適で穏やかな暮らしを求める心情が隠されている。詩画を通してその気持ちを表現するのが、画院画家の題材の一つとなった。

    • 宋 馬遠 山径春行
    宋 馬遠 山径春行
    宋 馬遠 山径春行
    • 国宝

     近景には、白袍を纏って漆紗籠冠をかぶった高士が一人いて、柳が枝を垂れる花咲く小路で足を止めている。左下の画面の端近くに「馬遠」の款署がある。馬遠は南宋光宗(在位期間:1190-1194)と寧宗(在位期間:1195-1224)朝に宮廷画家として仕えた。右上にある題詩「触袖野花多自舞、避人幽鳥不成啼」は、書風から寧宗が書いたものと考えられる。この題詩は対句により北宋 宋庠( 996-1066 )「春日連舜賓別墅」を転化したもので、ひっそりと咲く野花が描写されているが、高士が足を踏み入れたことにより、その眺めが動態に転じ、枝に止まっていたコウライウグイスが飛び立っている。精妙な構図の焦点は近景に集中している。中景には果てしのない空間が広がり、遠景は左上の端近くに青山がうっすらと描かれている。高士の視線は茫漠とした大地に向けられており、観る者の視線を皇帝の題詩とその詩の背後にある思いへと向かわせる。全体に極めて精微な筆致で描かれている。

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