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生誕祭の名の下に

 誕生会は現代ではごく普通に行われるイベントですが、古代はそうではありませんでした。魏晋時代になると、仏教伝来の影響から誕生日が重視されるようになりました。少数の個人を除くと、一般的には皇帝や宗教関連の人物だけが、誕生日を祝う対象でした。清代になると、著名な文化人の名を冠して、その生誕を寿ぐ雅集が開催されるようになりました。よく知られているのが、蘇軾の生誕を祝う「寿蘇会」です。参加者は象徴的な意味を持つ記念品を持ち寄り、書画や碑帖の観賞、題詠作詞、揮毫や作画などを行いました。こうした活動内容が、当時開催された新しいタイプの雅集の特色となったのです。

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  • 清 翁方綱題李東陽像 羅聘補竹

     「寿蘇会」によって文化人の生誕を祝う雅集開催の風潮が生じたが、この絵は、二つの雅集が連動していたことを示している。一つは翁方綱(1733-1818)が行った寿蘇会で観覧された作品で、もう一つは法式善(1753-1813)が行った李東陽(1733-1799)の生誕を記念する会で客人が揃って観賞し、作詩をした作品である。

     題跋によれば、この肖像画は翁方綱が王穆峯に制作を依頼した作品で、羅聘(1733-1799)の取り持ちにより李東陽の「種竹詩卷」と「移竹詩卷」を入手した翁方綱は、羅聘に竹の絵を描いてもらい、肖像画と合わせて表装したという。

     譚伯羽氏、譚季甫氏寄贈。

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