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想像の中の雅集

 北宋皇室の駙馬(宝安公主の夫)王詵(1048-1104)は、風雅な盛事として知られる「西園雅集」を邸宅で催しました。当時の著名な文化人─蘇軾(1037-1101)や黄庭堅(1045-1105)、李公麟(1049頃-1106)、米芾(1052-1108)などが貴賓として出席し、後に李公麟が絵図を、米芾が記を著してこの稀に見る盛会を記念しました。しかし、この雅集は架空の出来事で、これを記念した書法や絵画などが流伝したのは、後人による偽造がもたらした結果だったことが、研究により明らかになっています。この雅集の信憑性が討議されることもありましたが、人々の西園雅集への憧憬が薄れることはなく、明代中期になると、大量の模写や偽作が出現するなど、非常に特殊な現象が生じました。

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  • 宋人 西園雅集図

     乾隆帝(在位期間1735-1796)はこの絵の作者に関する自身の見解を題跋に記し、画中の人物は扁平な丸顔で、衣服のひだも篆籀の用筆のようであることから、李公麟の作ではないとしている。加えて、古い題識に欠字や誤りが非常に多いため、切断して表装しなおすことにしたという。そして、絵図と記録を対照して各人物の身分を確定した後、自ら筆を執って傍らにその名を記し、董誥(1740-1818)に命じて、この校正作業の過程を巻末に書き留めさせている。明代晩期に巻き起こった西園雅集の流行が清代朝廷にまで及んでいたことがわかる。

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