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動乱の時代の唱和

 元代江南の士人たちは頻繁に交流を重ね、かなり複雑な人間関係が形成されていました。雅集出席者の身分も様々で、文士や僧侶、道士のほか、非漢民族(色目人)も参加していました。親しい友人同士の小規模な集まりはもちろん、十数人が集う宴会でも、この時代は宴の記念を残すことに積極的で、皆で観覧した作品に題跋を書いたりしたほか、宴席で唱和した詩句をまとめて出版することもありました。顧瑛(1310-1369)が編集した『玉山名勝集』と『草堂雅集』、『玉山記遊』は、数十回も開催した雅集での唱和をまとめた出版物です。当時、宴会での唱和は刹那の出来事でしかなく、記念品が持つ永遠性に特別な思いがあったのかもしれず、そうした品々を強調することで、思い出を紡ぎ過去を偲ぶ媒体にできたのでしょう。

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  • 清 華嵒 玉山雅集図

     顧瑛(1310-1369)は「玉山雅集」という雅集を30回以上開催した。宴の後、酒席で詠まれた詩文などをまとめ、3冊もの書を出版している。大量の絵図が流伝している蘭亭修禊や西園雅集などに比べると、玉山雅集にまつわる絵図は遙かに少ない。張渥(14世紀に活動)が記念に絵図を描いたと伝えられるが現存していない。

     この作品の原題は「竹渓六逸」だったが、後に頤淵(1877-1938)により「玉山雅集」に改められた。

  • 元 黄公望 九珠峰翠

     題跋を見ると、この作品は黄公望(1269-1354)が楊維禎(1296-1370)のために描いた絵であることがわかる。楊維禎が客居していた松江付近の風景が描かれている。顧瑛が催した雅集は熱気に満ちたにぎやかさだが、親しい友人だけの集まりには親交の深さが感じられる。

     重なり連なる山々と頂上付近の平らな地形の組み合わせで、変化に富んだ山体の動感が表現されている。湿潤な山石の柔らかさを感じさせる墨の色、稜線の間に墨の短線で描かれた鬱蒼とした樹林、これらが生み出す生気溢れる風景は、黄公望の山水画ならではの特色である。

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