人を魅了してやまない錯視芸術
現実の知覚世界を錯覚と認識するにしろ、錯覚の物理世界を現実と認識するにしろ、錯覚は知覚の内にだけ存在しています。それらは視覚を通してのみ感知されるものだからです。
戦国時代の玉器に見られる、身体をくねらせる蛇の造形には、うっすらとしか見えず、数もまちまちですが、足がつけられています。観る者の視覚が向きの不揃いの足と頭部の組み合わせを自動的に捉えた際、蛇が蠢いているかのように見え、動態と静態が交互に現れるような錯覚が生じます。漢代の獣形玉器の足は身体構造上、前足は胸に、後ろ足は腹にあるべきで、そうでなければ視覚の原則に合致しません。身体を捻った獣身は胸と腹が別の方向を向いていますが、身体につけられた足もそれに合わせて位置が調整されているので、動態性の錯覚が生じるのです。
戦国時代の玉器は蛇、漢代の玉器は獣を原型としており、用いた技巧は異なりますが、錯視的な効果は同様に完成度が高く、本当に動いているかのような錯覚を覚えます。これは、ごく短時間に繰り返しシャッターを切って連続する動作を撮影した、ストロボモーションという現代の撮影法に通じる点があります。このような作品を目にした時、観る者の視覚は別々の方向を向いた頭部と四肢を自動的に組み合わせて、躍動感やスピード感があるように錯覚します。