光緒11年(1885)にイギリスがビルマに侵攻し、イギリスによる統治が始まると、イギリスは雲南とビルマの境界までその勢力を伸ばしました。清朝は曽紀沢、薛福成、龔照璦、李鴻章らを前後して派遣し、イギリスの官員と境界線に関する交渉にあたらせました。それに続けて「中英続議滇緬界務商務条約」と「中緬条約附款及専条」を締結し、境界線を画定しました。しかし、民国成立以降は雲南とビルマの境界線付近で絶えず紛糾が発生しています。
滇緬暹辺界図
- 光緒年間
- 縦68.5cm 横57cm
中英緬甸条款
- 締結日:光緒十二年六月二十三日
- 締結地点:北京
- 縦33cm 横20.5cm