フランスとイギリスがまだベトナムとミャンマーを掌握していなかった清代中期以前、清朝政府は両国を清国の属国と認識していました。「普天之下、莫非王土」(天下の土地は全て皇帝の領土である。)という観念の下、国家と国境の概念はかなり曖昧なものでした。それまで清朝政府はベトナム、ミャンマーとの国境線を正式に調査したことがなく、国境線に関する条約を締結したこともありませんでした。本院が所蔵する道光朝以前の関連史料や輿図(地図)の中にも中国とベトナム、ミャンマーとの国境線が精確に示されているものはありません。
手絵辺防図(手描きの辺防図)
- 清
- 紙本着色
- 縦29cm 横700cm