:::

図写朝儀

郎世寧(ジュゼッペ・カスティリオーネ/Giuseppe Castiglione)が描いた肖像画には、清朝皇帝や皇后、皇族、功臣などの姿が記録されています。乾隆帝が自身の美意識に基づいて主導する中、顔の正確な描写と遠近感は残したまま、正面から当たる光線の強弱や明暗の違いまで細やかに表現され、立体感もある肖像画が描かれました。「画孝賢半身像図屏」と「画慧賢朝服像図」に署款はありませんが、その技法から郎世寧の作だと考えられます。「画弘暦射猟聚餐図」と「画弘暦挾矢図像」には、満州族の講武習軍の法を顕揚するために、木蘭囲場で狩りをする乾隆帝の様子が描かれています。他の宮廷画家と共作した「親蚕図」四巻には、農業と桑栽培の重要性を示すために、孝賢皇后が西苑で桑摘みや献繭の典礼を行う様子が描かれています。「画阿玉錫持矛盪寇図」と「画瑪瑺斫陣図」には、歴史上重要な戦功が記録されています。これらの作品には史実が記録されており、歴史的意義も有する絵画だと言えます。

院本親蚕図採桑(利)

院本親蚕図採桑(利)

  1. 卷 絹本着色
  2. 縱51cm 橫590.4cm

「親蚕」とは、宮廷の后妃らが春に執り行う養蚕の古礼を指すが、長らく廃れていた。乾隆7年(1742)にこの礼の復活が決議されると同時に、西苑に先蚕壇の建設が始められた。乾隆9年(1744)に先蚕壇が完成すると、親蚕大典が挙行された。孝賢皇后が主祭を務め、妃嬪や姫君らが陪祭を務めた。この年から毎年この儀式が行われるようになった。乾隆3年(1748)に孝賢皇后が崩御すると、乾隆帝は「親蚕図」─「詣壇」、「祭壇」、「採桑」、 「献繭」四巻を絵図にするよう命じた。この度の特別展では第三巻と四巻が展示される。この巻「採桑」には、吉服(祭典用の礼服)に身を包んだ皇后が観桑台で女性達に桑の葉を摘むよう命じている様子が描かれている。

院本親蚕図献繭(貞)

院本親蚕図献繭(貞)

  1. 卷 絹本着色
  2. 縱51cm 橫639.7cm

「親蚕礼」は、「親饗先蚕」と「躬桑礼」、「繅三盆手礼」─3種の儀式からなる。この巻「献繭」は、常服姿の皇后が「繅絲礼」(繭の糸を繰る儀式)の前に繭館で繭を授かる場面が描かれている。文献には、乾隆14年(1749)に金昆が「親蚕図」の草稿を皇帝のご覧に入れたとあるが、落款は郎世寧が筆頭となっている。皇后と妃嬪や姫君達5名の表情は画一的でなく個性があり、特に皇后像は他の肖像画とよく似ており、女性の顔を描いたのは郎世寧なのかもしれない。第四巻は金昆が草稿を手がけ、郎世寧は一部人物の肖像を描いたのみだが、落款の筆頭にその名があることからも、皇帝の寵愛ぶりが窺える。巻末に乾隆帝による長題があり、孝賢皇后への尽きることのない思いが綴られている。

贊助單位