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精錬技術の進歩

戦乱の多かった春秋戦国時代は青銅製兵器発展の最盛期でした。鋳銅技術が発展、成熟し、兵器の殺傷力の向上が求められるようになると、戈と矛、戟の造形が極限まで洗練されました。それと同時に、従来とは異なる形態の戦争勃発に応じて、それまでにはなかった形の兵器も作られるようになりました。一つ目は青銅剣です。騎兵と歩兵が台頭すると、戈と戟の陣営に青銅剣も加えられ、基本的装備の一つになりました。二つ目は弓を基礎として発展した、絶大な威力を持つ弩です。歩兵が使う弩は騎兵に対して最も有効な兵器の一つになりました。

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  • 春秋晚期~戦国 嵌緑松石菱形紋銅剣

    縦55.6cm

    春秋時代末期から戦国時代初期に栄えた呉国と越国は剣の鋳造で知られていた。列国の名産が記された『考工記』には、「鄭之刀、宋之斤、魯之削、呉越之剣。」とある。

    呉越両国の剣は柄と剣を一体化して作る「渾鋳法」を用いて製作されていた。呉越の兵器は表面に特殊な工芸技術を用いた菱形暗花紋が入っていることが多い。これは他の国には見られない装飾である。

  • 西周晚期~春秋 夏家店上層文化 乳丁紋銅盔

    縦23.7cm
    横21x18.5cm

    中国の青銅時代の防具は皮甲や皮盾など皮革製が多く、部分的に青銅片を縫い付けて防御力を高めていたが、これには装飾的な意味もあった。盔(兜)は全てが青銅で鋳造された数少ない防具の一つである。この盔の形状や様式を見ると、ユーラシア・ステップで暮らした人々が用いていた青銅盔に近い。内モンゴル自治区赤峰市に位置する夏家店上層文化の遺跡からも同じような盔が出土している。

  • 春秋晚期 玄鏐戈

    縦14cm 横7.4cm
    銎径2.25cm

    古代の青銅兵器は主に銅と錫、鉛が使われていた。殷周時代の最初期は青銅を「金」と呼んでいたが、春秋戦国時代になると、青銅の原料ごとに異なる名称を記した銘文が出現し始めた。「玄鏐」もそのうちの一種だが、銅、錫、鉛のどれを指していたのかは明らかになっておらず、諸説ある。「玄」は黒色を意味することから、黒い鋳銅原料ならば、おそらく錫か鉛、或いは錫と鉛の合金を指したとも推測できる。

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