届けられた贈り物
本院が所蔵する謝恩摺によれば、下賜された褒賞品には様々な種類があり、それぞれ異なる意味がありました。皇帝が書いた文字や御書詩文、書籍、紙、硯、小袋、摺扇、錦織りの反物、帽子や衣服、牛、羊、馬、御膳の食べ物、錠剤、栄養食品などから玉製扳指や磁器の瓶、鼻煙壷、瑪瑙盒まで、更には銀両や銀錁などの貨幣もあり、多種多様な物が下賜されていました。
皇帝からの贈り物の種類や性質にはかなりの違いがあり、それが皇帝たちの好みによるものなのかどうかは、判断が難しいところです。しかし、下賜された贈り物は私たちが想像しがちな金銀財宝ではなく、実用性を考慮した日用品が多かったようです。
火鎌荷包─皇帝の恩寵のもとに継承された満州族の伝統
この奏摺には「火打ち鎌は新品のようですが、袋の方は皇帝が持ち歩いていたものです。」と記されている。この「火鎌包」という品物は清代の男性が腰に付けていた物で、一般的には火鎌(火打ち鎌)と打火石(火打ち石)、火絨(火口)が入っていた。火鎌は鋼や鉄などの金属製、火絨は何かを細かくした燃えやすい物で、火鎌と打火石をこすり合わせて着荷した火絨を火種とした。火鎌包または火鎌盒は中国東北地方で暮らしていた満州族にとって、外出時の必需品だった。
清代の皇族や貴族にとって、火鎌包を常に携帯することは、実用性だけでなく、先祖を偲び、満州族の伝統文化を忘れずに継承するという意味があった。今回展示するこの火鎌包は路振声が下賜された物ではないだろうが、清代の官員が皇帝からこの小袋を賜ったということは、皇帝がその人物を高く評価していたことを示している。
克食─御膳のグルメ
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奏謝恩賞哈密瓜摺
河南河北総兵官紀成斌
清雍正三年九月二十六日(1725-10-31)
故宮011582官員たちが上奏した謝恩摺には、食べ物と関わりのある特別な贈り物についても記されている。満州語では「克什」(Kesi)と言い、本来の意味は「恩沢」や「恩賞」である。この言葉は満州族が共に食事をする伝統的な習俗から来ており、「克食」と書かれることが多い。1717年の趙弘爕(1656-1722)の上奏には、「二度目の克食もまた御膳から分けていただきました。皇帝陛下のすばらしい詔命により、私のような微臣に天厨の美食の数々を下賜してくださり、いまだかつて味わったことのない物を味わわせてくださいました。」と記されており、「克食」の多くは皇帝の厨房で作られた食べ物を臣下に分け与えたものだったことがわかる。
実は「克食」には様々な種類があった。1726年に毛文銓が出した奏摺には、雍正帝自らが書した「福」の字のほか、「風羊克食」についても記されている。「風羊」は満州族が草原で食べ物を保存する時によく用いた方法である。羊の腹を割いて内臓を取り除いた後、風通しのいい所に置いて羊肉を乾かしたもので、長期保存が可能だった。意外なことに、現代の私たちがよく食べる「ハミウリ」(現在は果物のメロンを指す)も当時は臣下に与える「克食」の一つだった。1725年に紀成斌は雍正帝から新疆、甘粛一帯に位置する哈密地区産の「哈密瓜」(ハミウリ)を賜り、すぐさま奏摺を書いて礼を述べているが、慌てていたのか「哈密瓜」を「哈蜜瓜」と書き間違えている。
鼻煙壺─宮廷工房で作られた皇室の小物
こちらの展示室にはもう一つ康熙年間に宮廷の工房で作られた銅胎画琺瑯鼻煙壺もある。口の縁に薄紅色の牡丹の花、器身の両面には一対の蝶の模様がある。器身の左右両側は6枚の花弁を持つ黄色の花の模様で飾られ、丁寧な描写と典雅な色彩が見られる。この鼻煙壺は康熙帝が左世永に贈った物とは限らないが、左世永が受け取った鼻煙壺もこれと同様に精美な品だったと想像できる。
「画琺瑯」とは、器物の表面に琺瑯彩(エナメル)で絵を描いたもので、この工芸技術は康熙年間にヨーロッパから中国に伝えられた。康熙帝はその絢爛豪華な作風を非常に好み、宮廷内に工房を設置し、清国産画琺瑯器の研究開発に積極的に取り組むほどであった。1718年は康熙帝が画琺瑯工芸に最も熱中した年で、最も自信に満ちていた時期でもあった。或いはそうした背景があったことから、宮廷工房産の画琺瑯器を贈り物として臣下に下賜し、それにより恩寵を伝え、君臣の関係をより近いものとしたかったのかもしれない。
白玉喜字扳指─嘉慶帝の論功行賞と奨励
白蓮教は南宋時代から清代まで存在した民間の宗教的秘密結社で、各時代に信徒を集めて動乱を引き起こした記録が残されている。清代は乾隆年間晩期に白蓮教の活動が活発になり、朝廷にとって大きな脅威となっていた。この時は成徳らが68人の白蓮教徒を捕縛し、社会秩序の安定に貢献しただけでなく、朝廷の威光を取り戻したことから、嘉慶帝は手厚い恩賞を与えた。
この白玉製の扳指(弓を射る時に親指にはめる指輪)は「喜」という字が浮き彫りされている。国立故宮博物院の収蔵品には「壽」という字や、乾隆帝の御製詩文が彫刻された扳指もある。この種の扳指は賞玩的な性質が強く、皇帝から功績のあった大臣に贈られた。