衣服や装身具は伝統社会の規則や礼制を構成する重要な一部であり、歴史上の各時期における物質文化と工芸技術の発展を具体的かつ細かく反映するものでもあります。当博物院が収蔵する宮廷の服飾の多くは、清代皇室の収蔵品であり、参内制度に関連した各種装身具のほか、臣下からの献上されたものや、外地使節の朝貢や貿易を通じて得た各種珍しい物品なども含まれています。冠や帽子、頭飾り、腰まわりの装飾品に至るまで、その種類は多く、素材も精良です。製作技法に至っては金属工芸、玉石や香木の彫刻、真珠や翠玉の象嵌など多岐にわたります。多様な形やつくり、豊かな装飾文様が伝えるのは荘厳な高貴さ、優雅な精細さ、或いは複雑な華やかさ、雄渾な美しさの視覚的な印象であり、清代宮廷で受け継がれてきた歴史の伝統、及び中国東北地方において形成された特有の文化を随所に体現しています。装身具と縁起の良い置物は異なる実用性を備えていますが、使用する素材や吉祥的な題材、創作技術において互いに照り映え、宮廷の珍宝の華やかな風貌を表現し、巧みな発想を精巧な装飾に込めています。
鍍金された長方形の入れ物で、下部に鉄片がはめ込まれている。上部の珊瑚のつまみを引いて紐を緩めると箱が上下に開くようになっており、金の薄片に囲まれた細長い空間に火打ち石と火を移し取るための火口(ほくち)を入れることができる。清代の男性が腰元に付けていたもので、火打ち石と鉄片で発火させることができ、いわば現代のライターのようなものだった。山海関以東の東北地方に勃興し、騎射や巻狩を重んじ、武術を尊ぶ遺風を守ってきた満州族の皇室と貴族は、火打道具を入れる箱や袋式の入れ物、巾着などを携帯し、実際に使用するだけでなく、祖先を偲び、旧習が持つ本来の意義を忘れぬようにしていた。材質は金属のほかに織物、象牙や犀角を彫刻したものもある。箱の縁には縄状の縁飾りが施され、上面には鍛金、細線細工、溶着などの技法により流雲散花文とその隙間を埋め尽くす微細な金粒があしらわれている。珠を連ねた蓋の上下の縁は如意雲頭をイメージした波形になっており、その滑らかなラインはまるで絹の刺繍のようである。蓋の表面の各花の中央には珊瑚やトルコ石が象嵌されている。華やかな細工が美しいこの火打鎌の箱には、団龍文があしらわれた錦の包みと乾隆帝の款が入った石榴形の彫漆箱が付いており、清代宮廷の養心殿に置かれていた多宝格に収められていた。皇帝が使用した大切な収蔵品だったと思われる。
西洋の時計は明清時代に中国に伝わり、宮廷や役人、商人の間で珍重され、近代の中国と西洋の文化交流における重要な媒体の一つとなった。携帯できる精巧なデザインの懐中時計は、実用性のみならず、身分を象徴し、賞玩や収蔵に供するものでもあった。画琺瑯と真珠が施されたこの二つの懐中時計は、図案が対象になった一対のものである。丸い時計盤の上方には真珠をあしらったU字型の吊し輪が付いており、吊して携帯することができる。文字盤は白色の琺瑯地にローマ数字を配した中三針型。ケース内側に鋳込まれた王冠模様中央の「播喴」の漢字二文字は、スイスの高級時計ブランド-ボヴェ(BOVET)の中国語名である。ボヴェは東洋輸出向けの琺瑯時計の生産・販売で名を馳せ、十九世紀上半期には広州に会社を設立し、最も早くに中国市場を開拓した欧州時計商の一社であった。琺瑯の図案には三人の可愛らしいキューピットが描かれ、うち一人はリボンを身にまとい、果実をいっぱいに入れた花籠を掲げて舞い降りてくるところである。ほかの二人は寄り添いながら寝そべり、その周りには紅白のバラやさまざまな表情の色鮮やかな花々が咲きほころんでいる。背景の空や雲は優しい色でぼんやりと暈かされ、人物の肌や体、花や葉に表現された明暗が立体感を呈している。子どもの目鼻立ちはすっきりとしており、よく描かれる彫りの深い西洋の子どもとややイメージが異なることから、欧州の花卉人物画琺瑯の画風から発展し、清代晩期の中国市場向けに設計・製造された作品と思われる。
方形の玉の植木鉢から玉片で表現された波が湧き起こり、水中から龍の首と魚の尾を持つ翠玉の鰲魚が頭をのぞかせている。鰲魚の頭上に立つのは、朱色の珊瑚で彫刻された、体に帯をまとい七星を高く掲げた神-魁星である。魁星は魁斗星君とも呼ばれ、北斗七星の第一星であり、人間界の試験や学問の運気を司る、地位や登用の星と伝えられる。南宋から明清時代にかけ、科挙試験に合格し、洋々たる官途を祈願するため、楼閣を築いて魁星を祀る習わしが多く見られた。中国語の「魁星高照」(試験運がある)、「獨占鰲頭」(首位を占める)などの言葉もここから生まれた。伝説では魁星は鬼の形相をした学識に富んだ士人だったが、科挙の試験に何度も挑むもことごとく落第し、絶望の末に水に身を投げたところ鰲魚に助けられ、最後に星になったと伝えられている。この伝説が基となり、鬼のような形相をした神というイメージと鰲魚が結び付いた。さらに多くは自らの星である北斗七星の第一星に向け左足を蹴り上げた姿勢を取っており、首位を取ることを表している。この作品は全身が赤く、目をかっと見開き、威厳に満ちた魁星を主体とし、その周りには吉祥を象徴するさまざまな装飾が施されている。例えば、植木鉢の四面には蝙蝠(中国語の「蝠」は「福」と同音)を象った五色の美石が翠玉の「寿」字を囲んでいるほか、植木鉢の中の太湖石にも赤や青の宝石と鮮やかな霊芝があしらわれ、瑞祥を表している。また、魁星は紅白の宝珠が象嵌された梅の枝を手に持っており、どの花よりも先に開花する梅が群衆の先頭に立つことを意味している。各色の貴重な材料に施した躍動的な彫刻や精巧な金銀細工を通じ、五福が訪れ、吉祥の星が照らし、国に有能な人材が集まるという願いが込められており、清代宮廷の珍玩の中でも豊かな情趣と華やかな装飾を備えた置物である。
腕珠は数珠から発展したもので、念仏を唱える時に手に握り、精神を集中させ念仏の回数を数える時に用いられ、通常は同じ大きさの十八個の珠から成るため「十八子」とも呼ばれる。手に握るだけでなく、腕にはめたり、飾りとして胸元に掛けることもできる。伽楠木を素材としたこの腕珠は、中軸両端に親玉があり、その左右に親玉よりやや小さい十八個の珠が並んでいる。親玉の一つに塔の形をしたボサが付いており、その下に「背雲」と呼ばれる飾りと小さな珊瑚珠に続く二つの下げ飾りが付いている。親玉の四面には細かい金珠が「寿」の字にはめ込まれ、ボサにも同じ金珠を並べ簡略化した蝙蝠の図案が描かれている。
背雲と下げ飾りには、どちらも蝙蝠が「寿」の字を捧げ持つ形になっており、対になった下げ飾りは幸福と長寿を祈願する「福寿双全」を表している。伽楠木は中国南部沿海の山間部と東南アジア一帶に分布する希少な香木であり、すっきりとした芳香を放つ。明清時代より、斎室に焚く香に使われたほか、扇子の下げ飾り、腕珠、念珠、朝珠(清朝官吏が礼装時に身に付ける首飾り)、彫刻仏具などの材料として用いられた。清朝朝廷の記録によると、雍正・乾隆年間に広東地域の官吏より伽楠木の腕珠、香珠が何度も献上されている。この腕珠には錫製の箱が付いており、箱の蓋には魚子文と翼を広げた五匹の蝙蝠が牡丹の花を囲んでいる図案が彫られており、富貴の花が咲き、五福が訪れるという寓意を表している。蓋の内側と底には「潮陽/顔怡和/住廣東省老城」との印があり、この腕珠が広東から宮廷に献上された珍玩の装身具であることを示している。