皇帝の実験室で生まれた新製品
琺瑯彩磁器は18世紀の初めに創出されました。研究や開発が始まった当初は西洋人宣教師と民間の工匠たちが、模様の試作や顔料の精錬などの作業に取り組みました。しかし、康熙朝(1622-1722)が終わりを迎えても目標達成には至らず、模様を描くのに輸入顔料を使うしかありませんでした。
また、当時制作されたほぼ全ての試作品には正式な年款が書いてありません。全ての面において十分な成果が得られるようになってから、ようやく「康熙御製」という落款が入れられるようになったのです。磁器に模様が描かれた地点で区分すると、「琺瑯彩磁」とは、皇家の職人が景徳鎮御窯廠で制作した白磁器に装飾模様を描き、年款も書き入れ、窯で2回焼成した磁器のことを指します。それに対して、白磁器の制作だけでなく、模様の焼成も全て御窯廠で完成したものは「洋彩磁」とされます。
御製の風格
康熙帝が制作を主導した琺瑯彩磁器は、宮廷の役匠や地方の名工、その間を行き来した西洋人宣教師らの協力の下、18世紀初頭にようやく完成しました。それまでの伝統的な彩磁器に比べると、西洋的なイメージを凌駕した新作で、「康熙御製」であることが明確に標記されたのみならず、色彩や装飾模様も過去の作品より明るく鮮麗なものでした。こちらのコーナーでは、「皇家の標記」と「山中の花々と野菊」、「宮廷の色」─この三つの視点から作品を鑑賞しつつ、康熙御製琺瑯彩磁器が持つ風格の特色についてご紹介します。
この中の3点は底裏に「康熙御製」の款があり、「御製」という特色が明確に示されています。
皇家の標記
陶工たちは15世紀から皇帝の年号を官窯磁器の款識とするようになりました。特に書款が定められてからは、歴代朝廷の作例を見ると、初めに年代、次に帝号、最後に製作年という順に記してあり、一つの書式として概括することができます。例えば、景徳鎮で制作された康熙朝磁器には「大清康熙年製」と書いてありますが、「康熙年製」と簡略化した書き方もあります。これに対して、皇家作坊で落款が入れられた琺瑯彩磁器には「御製」と書いてあります。皇帝を示す「御」という文字が入っているため、極めて特徴的な風格を持つ皇家の標記となっています。
山中の花々と野菊
康熙朝の琺瑯彩磁器の大半は花々の模様で装飾されています。何の花かが識別できる模様もあれば、極度に図案化された模様もあります。注目に値するのは、リアルに表現された花叢の中に、淡い色の花とともに時折現れる青い菊です。主題となる模様ではありませんが、康熙御製琺瑯彩磁器によく見られる小さな印です。この小さな花の出現について、康熙44年(1705)に皇帝が題記を入れた、蒋廷錫(1669-1732)の「野菊」という絵と対照してみましょう。康熙帝は「山花野菊喜清風、塞北烟光報嶺楓」と、塞外で見かけた小さな野菊を詠じており、旅の途中の思い出を御製作品に取り入れた、興味深い逸話の一つとして捉えることができます。
赤紫の花々の中に咲く小さな青い菊の花をよくご覧ください。この青い菊は康熙帝が塞外(中国大陸長城以北の地域)を訪れた際の旅の思い出です。
宮廷の色
康熙朝の皇家作坊で使用された琺瑯料の大半が西洋からの輸入品でした。雍正6年(1728)になってようやく役匠などが琺瑯料の製造に成功し、それ以降は輸入品と国産品の併用が一般的になりました。このことから、宮廷の職人が初めて手にした顔料と色彩には、地方からもたらされた濃い桃色の顔料のほかに、展示作品に使われている黄や緑、青、赤、紫、黒などと、それらを混ぜ合わせて作った様々な彩料があったことがわかります。他の国では見られない、18世紀の清朝宮廷独特の色彩だったと言えます。