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古人展書読

南朝の斉王-蕭鈞の「巾箱五経」の後、四十年の月日をかけて、八万巻の書を収集した南朝、梁の孝元帝-蕭繹は、曽てのやり方を模倣し、袖珍小本を書き写しました。蕭繹撰《金楼子‧聚書篇》で、「孔昂に書かせた《前漢》、《後漢》、《史記》、《三国志》、《晋陽秋》、《荘子》、《老子》、《肘後方》、《離騒》等、合わせて六百三十四巻は、悉く巾箱の中にあり、書は極めて精細である」と触れています。この記載では、蕭繹が集めた書籍は非常に多く、共に細かい字で書き写されており、その上範囲や数量は、全て蕭鈞の物を超えています。これより文人が机に向かって熟読する儒家の経典は、各種の書籍へと広がり増えて行くことになります。

巾箱本が勢いよく発展し始め、次いで大量に伝播し、北宋、南宋の頃まで続きました。当時、木版雕版印刷術の発明応用は、已に書籍の出版流通を益々迅速なものにしていました。また一方で、民間の書坊を商いしている人たちは、市場のニーズや利益に迎合し、更に絶えず経書・史書・諸子など、文人が役人になって仕える為の書籍をはじめ、科挙の試験問題大全、時文、字書、韻書、文人詩文集などを出版しました。書坊で彫られた木版の名は、「小本」、「小冊」或いは「小書板」の巾箱本で、サイズは一定してはいなかったものの、一般の版よりも小型でした。この類の小形本は携帯に便利である事や、流通やコストが安価であるなどの特徴から、出版市場では大いに歓迎され、元、明、清三代の木刻本の印刷に影響を与えました。清末になると、石版や鉛版印刷術が伝来し、書店では、大量の石印或いは鉛印小冊が出現し、文人たちが、より取り見取りで購買できるもう一つの選択となりました。

  • 十七史詳節

    明正德十五年(1520)建陽劉氏慎独斎刊本

  • 周礼

    清光緒間(1875-1908)宜都楊氏影鈔宋刊巾箱本

  • 識字教授書

    清宣統元年(1909)鉛印本

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