一六五五年、オランダ東インド会社の使節団は、明白な誓いを立てて東へ向かいました。彼らは幸運にも順治帝にまみえることができ、同時にまた苦しい長旅の未曾有の道程のために、貴重な自分たちだけの情報と数多くの中国の地景や物形を描いた図画を残し、正に東アジア転換直前の重要な事項であったと言うことができます。世界に目を向けると、中国はもちろんのこと、日本、朝鮮、琉球などの地は、この重大な時期にあって、みな曾て経験したことのない挑戦に直面していました。海上で勃興した鄭芝龍、鄭成功一族が代表的な新興勢力で、更に波を蹴ってやってきたスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスなど、西洋の列強がありました。異文化との遭遇、衝突と衝撃は、歴史を激流の中に身を置き、互いに相手の国の人々を隅から隅まで相望み、立ち上がって虚構と事実を織り交ぜた歴史上の事実を記録しました。本院が所蔵する中・西文の史書大典をはじめ、オランダのアムステルダム国立美術館、及び国立台湾大学の貴重な蔵書を共同で展示し、回想に値する歷史の一ページを呈します。
ヨハネス・シュタインホフ (1618-1672)撰
《オランダ使節団初の訪中記》(フランス語版、英語版)
- フランス版1665年パリ Chez Thomas Jolly出版,サイズ:長さ36.5cm 幅25cm 高さ4.5cm
- 英文版:1669年ロンドン John Macock出版,サイズ:長さ40cm 幅27cm 高さ4cm
- 国立台湾大学図書館 蔵
《荷使初訪中国記》は、1655-1657年、オランダ東インド会社が、初めて使節団を派遣し、順治皇帝に拝謁した際の旅程を描いたもので、百五十幅もの中国の地理、風俗の挿絵など、清初の大運河沿途の都市や町の様子を描写しています。仮に工匠が挿絵を描く時、多くのヨーロッパ人が想像している異国の要素も交えて、自ら思うがままに描いたものだったにせよ、出版後は速やかに、当時のヨーロッパに於ける最も信用できる中国の著述と見なされたのです。書中の図像もまた、17世紀末~18世紀初期に至る中国風(Chinoiserie)の芸術風格にも影響を与えました。この度展示するページは南京の城景および南京琉璃塔です。
オランダ 十七世紀中葉
〈バタヴィアの市〉
- (伝)Albert Eckhout
- 形式:油絵
- サイズ:長さ 106 幅 174.5 cm
- アムステルダム国立美術館蔵
画面に描かれているのはインドネシアのバタヴィアの市の様子です。果物を売っている屋台にはビンロウが掛けられ、また様々な熱帯の果物、例えばバナナ、椰子、ランブータン、パイナップル、マンゴ、ドリアン、スターフルーツ等が並べられています。これらの果物は、それぞれ番号が付けられており、その名前は右下隅の明細書に書かれています。画面の中の一人の中国人が、丁度市場の屋台で果物を買っています。この油絵の作品は、Albert Eckhoutの作品です。彼は肖像画や静物画に長けており、同時にヨーロッパの画家の中でも率先して「新世界」を描いた著名な芸術家です。彼は一六三六年、ブラジルに足を運び、当地の土着の民と物産を描きました。この作品は、聞くところによると、東印度会社総督-Joan Huydecoperのアムステルダムにある自宅に飾るために描かれた絵であると言われています。しかし、画家本人はバタヴィアに行ったことはなく、このため、作品の中に描かれている長い爪の中国人とインドネシアの土着の民は、当時のその他の視覚の材料-例えば銅版画と書籍の中の挿絵などを基に描かれたことが推測できます。