清代になると、摺扇は身分にかかわりなく楽しめる芸術文化の一つとなり、縁起のよい絵や文字を書いた摺扇が人気を博しました。書画家の交流や合作もしばしば行われ、収蔵家からの製作依頼も頻繁にありました。書芸界で碑学が盛んになってからは、摺扇に残碑の識語が書かれるようになり、それまでにない斬新な表現も見られるようになりました
清 任薫 趕鵝図
任薫(1835-1893)、字は阜長、浙江蕭山(現在の浙江省杭州市蕭山区)の人。海上画派の名家任熊(1823-1857)の弟。人物は兄の画法を学んだが、独自の創意も見られる。花鳥画でも名を知られた。
任薫は後半生のほとんどを蘇州で過ごした。この作品の款識を見ると、「子賢仁兄大人雅属。阜長任薫写于呉門。」とあり、呉門で製作されたものだとわかる。幼い子供がガチョウを追う姿が描かれている。人物の自在な筆遣いに対して、野草などの植物は力強い。ガチョウの群れはシンプルな筆致で生き生きと描かれている。農村の素朴な雰囲気が金箋の扇面に表現されている。一方の面は光緒11年(1885)に書かれた王藻墀の「行書金丹四百字真言」となっている。これもまた「子賢」の作である。