恵風和暢─摺扇の精粋 特別展,展覧期間 2016/7/1~2016/9/25,北部院区 第一展覧エリア 208、212
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君臣翰墨─主君と臣下の作品

清代の康熙帝(聖祖愛新覚羅玄燁)(1654-1722)は書法を好み、臣下らへの下賜品に字句を書いた摺扇が用いられるようになりました。乾隆帝(高宗愛新覚羅弘曆)(1711-1799)の在位期間中は君臣ともに書法作品が多く、宮中にあった古い摺扇の整理も積極的に進められ、蘇州の織造処へ送って修理させたり、表装させたりしました。

清 楊大章 倣仇英筆意楼閣

楊大章は乾隆時代に内廷に仕えた人物で、人物画や花鳥画を得意とした。乾隆31年(1766)から乾隆56年(1791)の作品が残されている。『活計档』に乾隆33年(1768)に扇面画を描いたとの記録がある。この扇面画は明代の仇英(1494頃-1552)の筆意に倣って宮殿楼閣を描いた作品である。非常に丁寧な筆致で、濃厚な青緑を用いて金箋に山石が描かれており、華やかな美しさが際立っている。

一方の面は乾隆51年(1786)の「御筆賦得蓬瀛不可望」である。扇骨を挟んで金箋が貼られ、扇骨に沿って草花や人物などの模様が描かれている。扇骨が仕切りのように見え、デザイン性の高い作品となっている。

清 楊大章 倣仇英筆意楼閣

明 陳煥 山水

清朝宮廷には明代の摺扇が多数収蔵されていた。この双面扇の絵は陳煥(1593-1631に活動)が描いたものである。陳煥、字は子文、号は堯峰、江蘇蘇州(現在の江蘇省蘇州市)の人。明代末期の職業画家で、山水画を得意とした。沈周の画法を学び、侯懋功(1522-1620)に私淑した。この作品には舟上の文人が巨大が岩石に挟まれた川を進む様子が描かれている。左側には鬱蒼とした森があり、観る者に迫りくるかのようである。それに対して舟上の人物はごく小さく描かれている。樹木や岩石の描き方は呉派の沈周や文徴明の画風に近い。

乾隆時代は積極的に宮中の古い扇の整理が進められ、古い扇に新作を合わせて表装されることもあった。この作品も一方の面は乾隆帝による「御臨蘇軾尺牘」で、明代と清代の作品を合わせた双面扇となっている。

明 陳煥 山水