恵風和暢─摺扇の精粋 特別展,展覧期間 2016/7/1~2016/9/25,北部院区 第一展覧エリア 208、212
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摺扇と宮廷の関わり

明代初頭の洪武年間、太祖朱元璋(洪武帝)(1328-1398)は、日本の朝貢使節によって献上された日本の扇を群臣に下賜しました。永楽年間になると、折りたためる摺扇を気に入った成祖朱棣(永楽帝)(1360-1424)が日本の摺扇を模倣したものを職人に作らせました。臣下らは毎年端午の節句に翰林の名手が格言を書した扇面を賜り、これが仁徳の教えに触れる機会にもなったのです。宣宗朱瞻基(宣徳帝)(1399-1435)も端午の節句に摺扇を下賜する習慣を踏襲しましたが、自ら筆をとって字句を書いた扇を臣下たちに与えました。「御筆花鳥」は明代宮廷早期に作られた貴重な摺扇の一つです。

明 宣宗 御筆花鳥

明代初頭の洪武年間に日本の朝貢使節から日本の扇が献上されると、太祖朱元璋(洪武帝)はそれを群臣に下賜した。永楽年間になると、折りたためる摺扇を気に入った成祖朱棣(永楽帝)が日本の摺扇を模倣したものを職人に作らせた。宣徳年間には、毎年端午の節句に翰林の名手が格言を書した扇面を臣下らに下賜する慣例が生まれ、それが端午の節句の風物詩となり、朝廷に満ちる仁風の象徴にもなったのである。

この摺扇には宣宗御筆の花鳥が描かれている。扇面は金泥で彩られ、椿の間に佇む2羽の鳥が見える。画風は南宋院体画を継承しており、鮮麗典雅な着色が施されている。北京故宮博物院所蔵の双面扇、宣宗「山水人物図」と同じく、明代宮廷早期における貴重な摺扇の一つである。

明 宣宗 御筆花鳥