外国勢力への対応の変化
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為履勘琅𤩝形勢擬即築城設官以鎮地方而消窺伺
『月摺档』収録 光緒元年正月上
福州将軍文煜等
光緒元年元月十二日同治13年(1874)、日本軍による台湾侵攻の衝撃を受け、清朝はその翌年に鳳山県を分割し、率芒渓(川)以南の地に別の県を設置することにした。そのため、沈葆楨などが琅𤩝(現在の恒春地域)の実地調査へ向かった。この奏摺では車城南方の猴洞地区での県治建設や、県名を「恒春」とすることなど、詳細な計画を報告しており、後に清朝宮廷から同意を得ている。築城工事は各地方からの支援を受けて、分割して建設することになり、光緒元年(1875)に着工し、光緒5年(1879)に落成した。現在、恒春城は国定古跡となっており、各城門が欠けることなく保存されている唯一の城池である。