南北大路
現存する清代台湾全島図巻の中で、「康熙台湾輿図」や「台湾民番界址図」、「十八世紀末御製台湾原漢界址図」、「台湾番社図」などはもちろん、「乾隆台湾地図」や「台湾図:澎湖群島図附」などでも南北を貫く1本の点線が下方にあり、いわゆる「南北大路」が記されています。関連の研究によれば、この路線の形成はオランダ統治時代(1624-1662)にまで遡れるそうです。また、清代康熙年間(1662-1722)以降は台湾の南北を結ぶ主要な幹線道路になりました。展示中の「台湾図:澎湖群島図附」には、1723-1727年間の台湾の様子が記されており、この図に描かれた南北大路(黄色の点線)は巻首の沙馬磯頭(現在の猫鼻頭)を起点として、鳳山県、台湾府、台湾県、諸羅県、彰化県、牛罵社、竹塹庄を経て北に向かい、最後は大八里坌社、淡水河口の渡し場付近まで至ります。今から2~300年も前に郁永河(1645年-?,1697年硫黄採取のために来台)と黄叔璥(?-1756,1722年来台、初代巡察御史)もこの道を歩いて『裨海紀遊』(郁永河著)と『台海使槎録』(黄叔璥著)─早期台湾の様子を詳細に記録したこの2部の書籍を著したのです。日常的に行き交う牛車や人々で賑わう様子は「康熙台湾輿図」の描写と一致します。