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各地結ぶ大道

古代の交通路線図の中で、省や府、州、県などの地方行政区分図を兼ねる図の場合、各都市を結ぶ道理図が最多であるのは間違いありません。これらの道里路線は時代の推移につれて表現方法に変化が見られます。例えば、明代に制作された地図の道路は違う色の実線で示されていますが、清代になると、特に清代中期以降は点で点線を繋げてから着色してあるものが大半を占め、黄色もあれば、赤もあり、決まりはありません。こちらのコーナーでは、3台の展示ケースに分けて展示品をご覧いただきます。第1期は欒城県と望都県の県志及び県図─「河南開封府道里図」と「浙江省海塘図」を展示します。第2期は東光県と聊城県の県志及び県図─「直隸通省輿地全図」と『江南各道府図表』に含まれる池州府、広徳州の2図を展示します。各図の制作及び作画年代は14世紀初期もあれば、20世紀初期のものもあり、制作年代に大きな開きがあります。道路の書き方の違いのほか、伝統的古地図の様式の変化も見られます。

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  • 欒城県志及び欒城県図

    欒城県は清代雍正年間(1723-1735)以降に正定府に編入され、1928年から河北省に編入された。現在は河北省欒城県となっている。県図中央の「欒城県」と書かれた正方形は県城である。このほかに県内の道路が赤い点線で示されており、ほぼ全てが県城を中心に放射線状に広がっている。道路名と距離は赤い付箋状の紙に墨書で記してあり、反時計回りにそれぞれ「赴趙州大道」、「赴藁城県小路」、「赴正定大道」、「赴獲鹿県小路」、「赴民元県小路」と書かれている。この図はおそらく清代末期から民国初期に描かれたもので、展示中の『欒城県志』とは制作年代が異なる。

  • 望都県志及び望都県閤境輿図

    望都県は清代には保定府に編入されていたが、現在は河北省保定市望都県となっている。「望都県閤境輿図」の中ほどにある鈍角方形に「望都」と書いてあり、県治の所在地が示されている。図の下方には町や川、鉄道、大道、鎮、村などの例図が6種類もある。図中の「鉄道」と「道路」はほぼ平行になっており、いずれも東北、西南方向に向かっている。この鉄道は1900年(光緒26年)に敷設された盧漢鉄道の望都県区間だと考えられる。この点から推測すれば、この図が描かれたのはそれ以前だったはずで、展示中の県志とは制作年代が異なる。

  • 河南開封府道里図

    この図は故宮所蔵の河南省図図組(総河省省全図1、分府図8)の一つで、清代初頭の開封府内の1府、4州、29県が描かれている。絹本着色画で、方位は上が北、下が南になっている。この図はクモの巣条に描かれており、各町を結ぶ赤い点線が道路である。各町の城門がある道路の起点となる箇所には距離と行き先が書いてある。図中の陳州と許州はまだ府に昇格しておらず、おそらく1734年(雍正12年)以前の地理だと推測できる。この図の制作年代もその時期からそれほど遠くないと思われる。

  • 浙江省海塘図

    この図は左下角に墨で「委員候補県丞秦仲康 画士朱瑞麟謹呈」と書いてある。献上者と作画者の名前が記された古代地図は極めて少ない。この図は海が上、陸地が下になっており、巻首は鎮海県城から始まり、右から左へと浙江寧波府の鎮海県から紹興府の蕭山県(現在の杭州市湾南の海岸)の防潮堤まで描いてあり、巻末は杭州省城で終わる。クモの巣状に密集した水道のほか、黒い点線にオレンジ色の実線で描かれた、各町に続く道路がかなり目を引く。道路の長さと方向は「城」(町)の内外にほぼ記されている。

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