文人雅士
囲碁は唐代から文人の琴棋書画─「四芸」の一つとされ、文人の世界に欠かせないものとなりました。囲碁は文人が交流する際の大切な手段の一つで、雅集の絵図には必ず囲碁を打つ場面が登場します。人々を夢中にさせる楽しみの一つでもあり、いつの時代にも寝食を忘れて熱中する人たちがおり、書画作品や茶墨を賭けて勝負する「雅賭」も珍しいことではありませんでした。また、囲碁は気持ちを表現する手段でもあり、棋譜を書くことで篤い友情の記念とし、挫折しても大らかな心持ちを示し、政治的混乱や人生の無常を嘆きました。古代の人々が描いた棋局の文字や絵を見ていると、私たちも彼らの世界に入り込み、仲間が集って碁を打つ楽しみや、碁石を置く時の気持ちが感じられるような気がします。
- 明 黄彪 画九老図 卷
- 27.2x193
- 故畫001639
唐代の詩人白居易(772-846)は退官後、高齢の名士8人と洛陽香山で「香山九老」と称する詩社を結成した。それが後世の人々が憧れて模倣する雅集の手本となった。この絵は明代蘇州の画家黄彪(1522-1594以降)がかの地に伝わっていた宋版九老図を臨摸したもの。この絵に描かれた老人は松や竹が生い茂り、花々が咲く中で巻物を広げ、詩を詠み、頭に花を挿して踊り、向かい合って碁を打つなど、微笑ましい姿で描かれている。画中に見える姓名と題識によれば、碁を打っている二人は白居易と劉真(生没年不詳)である。机に置かれた碁盤の線は不揃いだが、縦横19本の線が描かれており、正規の19路盤に合致する。残念ながら白と黒の碁石をどちらが持っているのか判別できず、この日の局面を知ることはできない。
- 清 銭灃 隸書蘇詩卷妙蹟 卷
- 28.2x297.2
- 贈書000179
この剛健かつ重厚な書法作品は清代の銭灃の作品で、蘇軾(1037-1101)の詩作数首を抄録したもの。そのうちの一首はこの北宋の文豪と友人の囲碁で結ばれた深い友情について書かれている。荒涼とした海南の儋州に左遷された蘇軾は、その不遇な時代にその地の官員張中(生没年不詳)と知り合った。二人はしばしば酒を飲みながら碁を打ち、気をまぎらわしたという。張中は蘇軾に住居を提供するという危険を冒し、そのせいで職を解かれてしまった。別れの際、蘇軾が書いた三首の贈別詩のうちの一首を本展で展示する。この詩には、友人と夜通し碁を打った楽しい時間を思い出しながら、友人との別れを惜しむ蘇軾の気持ちが行間から溢れている。
- 明 婁堅 書五言古詩 卷
- 27.7x272.6
- 故書000131
- 重要古物
明代末期の「嘉定四先生」の一人である婁堅(1567-163)は詩文と書法で名を知られ、熱烈な囲碁愛好家でもあった。この作品の五言詩は婁堅の詩集に収録されており、その中で親族を亡くした友人「純中道兄」(生没年不詳)を慰めるため、頻繁に二人で碁を打ち、囲碁を比喩として用いたこの詩を詠んだとしている。そこに人生哲学を取り入れて、友人が囲碁の勝負のように生死への執着を超越できるよう願ったと補註で書き加えている。全体の筆墨は豊かで抑揚があり、婁堅が宋代の蘇軾(1037-1101)と米芾(1051-1108)の書風を臨習していたことがわかる。