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収蔵と典籍に育まれた包括的な芸文史観

王世貞は長年にわたって書画を収集していましたが、その収蔵品について詳しく研究するのを楽しみとしていました。明代「後七子」の一人とされ、文学の創作では復古を強く主張しましたが、収蔵でもほぼ同様の傾向が見られます。自身が目にした文物を基礎として歴代の典籍を参考にし、全体を総覧できる能力も加わって、同時代人とは異なる、王世貞独自の芸文史観が育まれたのです。書法では当時の文人たちが好んだ宋代の書法ではなく、魏晋の古雅を尊びました。同時代の書壇に関しては「呉中三家」説を掲げましたが、それは現在でも書史の主流となっています。絵画では宋代の絵を重視すべきだと考え、当時の元代文人画を主流とする見方を排除しようとしました。更には「画史五変」を主張して、絵画の画風の変遷を歴史的な枠組みの中に置くなど、その独自の見解は現在も影響を与え続けています。工芸作品に関しても世俗の流れに反して、芸術市場で流行中の宣徳や永楽、成化などの明代官窯ではなく、宋磁を重視すべきだとしました。また当時、宋代緙絲の贋作が出回っていることを指摘し、関連の研究のために新しい資料と新しい視点を提供しました。幅広く全面的な記録を通して、王世貞は明代晩期の芸術市場の繁栄を再現し、当時の芸術界の発展と盛況に、古今を縦横に総覧できる歴史家の観点から高水準の論評を加え、絶大な影響を与えました。

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    • 明 王世貞 弇州山人四部稿
    明 王世貞 弇州山人四部稿_プレビュー

    明 王世貞 弇州山人四部稿

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)
    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    『弇州山人四部稿』は王世貞の早期著作をまとめたもので、賦、詩、文、説の4部に分類され、全180巻ある。そのうちの「説部」には『芸苑卮言』や『宛委餘編』など、7種の著作が収録されており、王世貞の文学思想理論に関する持論のほか、古代の名品にまつわる史実を考察した幅広い知識を披露しつつ、あらゆる分野に関する芸術文化へのビジョンが形成されている。また、「説」と賦、詩、文を分類し、独立した部として並列してあるのは、文集編纂史上初の試みでもある。『四庫全書総目』には、王世貞は「才学に富み、博学多識である」と評されており、「古文書の調査と解読に関して王世貞に並ぶ者はいない」とされ、著述家としての力量と影響力が的確に説明されている。

    • 宋 無款 松陰庭院
    • 宋 無款 松陰庭院
    宋 無款 松陰庭院_プレビュー

    宋 無款 松陰庭院

    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    庭園の一角が俯瞰の視点から描かれている。主要な建築物の屋根は懸山式で、当心間が庁堂となっている。部屋の中には午睡から目覚めたばかりの女性が一人いる。回廊の侍女たちは水や袋を手に連なっている。庭園にある須彌座のような花壇には大きな岩石が聳え、その傍らに植物が生い茂っている。南宋小幅の名品で、極めて丁寧に場景が描写されている。

    画面右側に「貞」と「元」の連珠印の半印があることから、王世貞の収蔵品だったことがわかる。王世貞は歴史家としての素養も豊かで、書画の鑑蔵にも画史的発展に強い関心を抱いていた。王世貞は画史には時代ごとの特色があると考え、南宋の作品にも格別の時代的な意義があるとした。

    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    • 元 趙孟頫 重江畳嶂
    元 趙孟頫 重江畳嶂_プレビュー

    元 趙孟頫 重江畳嶂

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)

    王世貞は宋代絵画の重視を提唱していたことから、作品を鑑賞する際も五代、北宋の大家の作品と比較しつつ、その良さを称賛した。「重江畳嶂」はその一例である。題跋ではこの絵と五代の荊浩(850頃-911)と北宋の李成(916-967)、郭熙(1023頃-1087以降)を例に出して同列に論じており、高く評価していたことがわかる。この名跡の巻首には「貞元」の連珠印、巻末には「乾坤清賞」などの印があり、長文の跋も書いている。王世貞が自身の収蔵する書画を鑑賞する際の標準的様式である。

    • 唐人 明皇幸蜀図
    • 唐人 明皇幸蜀図
    唐人 明皇幸蜀図_プレビュー

    唐人 明皇幸蜀図

    • 10.5-11.15(期間限定展示)

    唐玄宗(在位期間:712-756)が安史の乱から四川へ逃れた故事が描かれている。樹木や草花が生い茂る険しい高山に、四川を目指す隊列が長々と連なっている。茶色の馬に乗り、橋を渡ろうとしている赤い服の人物が唐玄宗である。この絵は多数の模本が存在しており、本作は宋代に模写されたものと考えられる。画上にある「項篤寿印」は項家に収蔵されていたことを示しており、項家と親しかった仇英(1494頃-1552)の模本も伝世している。全体に青緑の濃厚な着色が施され、奇妙な形の山石の造形には古拙な味わいがある。唐代の李思訓(653頃-718)と李昭道(675-758)に代表される画風で、明人が知る典型的な唐代山水でもある。王世貞が目にした「海天落照図」もこのような画風の擬古的な作品だった。大小李将軍(李思訓と李昭道)の山水画は画史五変の中の第一変に分類される。

    • 五代南唐 巨然 層巌叢樹図
    • 五代南唐 巨然 層巌叢樹図
    • 五代南唐 巨然 層巌叢樹図
    五代南唐 巨然 層巌叢樹図_プレビュー

    五代南唐 巨然 層巌叢樹図

    • 10.5-11.15(期間限定展示)

    この作品に署名はないが、明らかに巨然の山水画風であるため、巨然の作と見なされてきた。巨然(10世紀後半)、鍾陵(現在の南京市)の人。南唐が滅亡すると、李後主(李煜)に随って宋に降り、汴京に移った。董源(?-962)の教え子で、山水画をよくし、絵画史では董巨と並び称される。連なる山々を描写する長い線「披麻皴」と、山頂に密集する岩石「礬頭」が董巨山水の特徴である。しかし、董源は江南の緩やかに連なる山丘の絵を多数描いたが、巨然は高く聳える山岳を披麻皴で描いた。王世貞は「荊、関、董、巨又一変也」─山水画変化の第二波であるとし、董巨の作品に見られる江南の画風と荊関(荊浩と関仝)に代表される北方の画風は対照的だと考えた。

    • 宋 范寛 臨流独坐図
    • 宋 范寛 臨流独坐図
    • 宋 范寛 臨流独坐図
    宋 范寛 臨流独坐図_プレビュー

    宋 范寛 臨流独坐図

    • 2.8-3.21(期間限定展示)

    堂々たる主山が聳える雄大な構図。画家の款印は無いが、清代に范寛(950頃-1031の間)の作とされた。確かにこの絵は范寛の画風に近い箇所もある。山頂に密生する樹木や樹木の造形、山石の角ばった輪郭線に側筆の皴擦など、いずれも「谿山行旅」に見られる表現である。しかし、この絵にはどこにも雨点皴が見当たらず、主山の気勢もやや弱く、雲霧が立ち込める中、水辺に腰を下ろす文士が一人いる情景も范寛の画風とは異なる。この絵はかつて蘇州の王献臣(1493年進士)が所蔵しており、当時の人々が宋代の巨幅作品を理解するための依拠とされたに違いない。王世貞も李成(916-967)、范寬に至って山水画に再び生じた新たな変化について言及しており、唐と五代の画風が北宋に継承された後に現れた、山水画の新たな発展だとした。

    • 宋 夏圭 観瀑図
    • 宋 夏圭 観瀑図
    • 宋 夏圭 観瀑図
    宋 夏圭 観瀑図_プレビュー

    宋 夏圭 観瀑図

    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    扇面の右側に、水亭に寄り添うように聳える松の巨木2株が描かれている。水亭の中には童僕一人と雅士二人がいる。雅士の一人は腰を下ろして柵にもたれ、もう一人は腕を上げて右を指差している。山中には滝だけが見え、緩やかに流れ落ちて川となり、水亭の下を流れ過ぎて、前景の湖に流れ込んでいる。近景に描かれた雑木の葉が赤く色づいていることから、この絵は初秋の風景を描いたものだろう。遠山の岸辺やその手前の中洲には朦朧とした雲霧が立ち込め、岸辺に小舟が緩く繋がれている。作品全体に悠かに遠く伸びやかな雰囲気が漂う。南宋の画家は辺角式構図を用いることが多く、特定の季節や天候の変化の中に見られる自然の風景描写を得意とした。瀑布の右側の端に「夏珪」の題款がある。山水画は南宋の劉松年(1124-1182)、李唐(1070頃-1150)、馬遠(1190-1224間に活動)、夏圭(1180-1230前後に活動)に至って再び新たな変化を生じたとする王世貞の言説に一致する。

    • 元 王蒙 具区林屋
    • 元 王蒙 具区林屋
    元 王蒙 具区林屋_プレビュー

    元 王蒙 具区林屋

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)

    「具区」は太湖の古称である。「林屋」は太湖にある洞庭西山の麓に位置する林屋洞を指す。幾層も重なる山石は、牛毛皴乾擦を用いて湖石の特殊な質感が表現されている。樹木は赭石と藤黄、朱砂で着色され、秋らしい彩となっている。清らかなせせらぎがその間を流れている。複雑緻密な構図の中に家屋が散在しており、そこでは文人が楽しげに暮らしている。王蒙(1308-1385)、字は叔明、号は黄鶴山樵、趙孟頫(1254-1322)の外孫にあたる。王世貞の心中にあった元四家は、趙孟頫(1254-1322)と呉鎮(1280-1354)、黄公望(1269-1354)、王蒙(1308-1385)だった。倪瓚は別格なので、一般的な分類に加えるべきではないとした。また、王蒙の画風は色彩濃厚で奥行きがあるとし、中国の山水画は黄公望と王蒙に至って再び変化して、明代呉派絵画に影響を与えたと指摘している。

    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    • 唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷
    唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷_プレビュー

    唐 褚遂良 黄絹本蘭亭卷

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)

    書法史上、王羲之(303-361)の「蘭亭序」は夢か幻の如き存在であり続けた。初唐の書法家褚遂良(596-658)はその真跡を臨模したと言われ、大量の模本が伝えられている。この作品は黄絹に書かかれている。「嶺」を「領」と書いてあるのは、褚遂良の臨本の重要な特徴が反映されたものである。この作品を購入した王世貞は、巻末にある米芾(1052-1108)の題のほか、前後2篇の長跋をもとに本作の流伝経路を詳述して、褚遂良の真跡であることを弁証し、その書法を絶賛している。本作は後に日本へ伝わったが、その後また「蘭千山館」の所蔵となり、現在は本院に寄託されている。

    • 宋 黄庭堅 花気薫人帖
    • 宋 黄庭堅 花気薫人帖
    宋 黄庭堅 花気薫人帖_プレビュー

    宋 黄庭堅 花気薫人帖

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)

    黄庭堅(1045-1105)、北宋四家の一人。これは1100年頃の作品で、1087年ぐらいに王詵(1048-1104以降)に贈った七言絶句一首が書いてある。この詩には、もう中年を過ぎた自分はなかなか詩を作る気分になれないと、かなり謙虚なことが記されている。全体の用筆に老練な力強さと深い落ち着きがある。墨は潤った濃い色から徐々にかすれ、章法は謹厳なものから緩やかなものへと次第に変化しており、ごく自然な運筆で一気呵成に書き上げている。王世貞は黄庭堅の書法を「自由で勝手気まま」、「姿態が豊か」と称賛した上で、本作については「洗練された老熟の技に複雑な結構」と述べており、的確に表現している。

    • 唐 杜甫;宋 郭知達集注 新刊校定集注杜詩
    • 唐 杜甫;宋 郭知達集注 新刊校定集注杜詩
    • 唐 杜甫;宋 郭知達集注 新刊校定集注杜詩
    唐 杜甫;宋 郭知達集注 新刊校定集注杜詩_プレビュー

    唐 杜甫;宋 郭知達集注 新刊校定集注杜詩

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)
    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    明代の前七子と後七子は「文は秦漢、詩は盛唐」という文学復古の旗標を掲げ、杜甫の人物とその詩を尊んで強く推奨し、その地位は李白の上とした。王世貞は杜甫の作品は七言律詩が最も優れており、「聖」の域に達しているとした。また、「秋興八首」はそのうちの一つで、唐代の七律の中で最高の作品であり、だからこそ明代晩期の書家がこぞって書いた杜甫の名作だと考えていた。王世懋旧蔵の宋広東漕司刻本『新刊校定集注杜詩』は現存する早期のものだが、比較的完全な宋代杜詩集注本である。漕司本は開版が大きくすっきりとしており、字画も鮮明に整い、刻印の質も高い。宋人の書目でも「最良の善本」と讃えられており、宋代書物の美点を全て備えたものだと言える。

    • 明 杜堇 玩古図
    • 明 杜堇 玩古図
    • 明 杜堇 玩古図
    明 杜堇 玩古図_プレビュー

    明 杜堇 玩古図

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)

    水辺の庭園で所蔵品を鑑賞する文士が描かれている。庭に置かれた家具や調度品も洗練されている。長机には鐘や鼎、炉、碗など、様々な物が並べられ、腰を下ろした主人は古物や珍玩を眺めているが、もう一人はじっくりと器物を調べている。二人の傍らでは琴棋書画など、風雅な遊びの支度をしている。王世貞は杜堇(1465-1505頃に活動)が描いた人物や楼閣を「非常に典雅で趣深く、古風な味わいがある」と称賛している。本作は南宋院画の精緻かつ雅趣に富む画風を継承したものである。

    画家による題識には、古代の事物を楽しむには古代と現代について幅広く知る必要があり、古物の研究を通して礼楽制度を理解でき、それを立身処世の基礎にできると記されている。この作品には古を好んだ明代の文人たちの姿や、所蔵品の鑑賞をよくした文化が反映されている。

    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    • 北宋 汝窯 青磁水仙盆
    北宋 汝窯 青磁水仙盆_プレビュー

    北宋 汝窯 青磁水仙盆

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)
    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    水仙盆は楕円形で、口縁がやや外側に開き、銅の覆輪が施され、平らな底の四隅に足が付いている。水仙盆の釉薬の色は緑色がかった水色で、曲線箇所は釉薬が薄く、薄紅色の輝きが微かに見える。器表は開片(貫入)で覆われており、外側の底に汝窯磁器特有のゴマ粒のような支釘の跡(目跡)が六つある。王世貞は時代ごとに異なる風潮や変革について論じた著作『觚不觚録』で汝窯にも触れている。「焼き物は哥窯と汝窯を重んじる」と、宋代の汝窯磁器への高い評価を明確に示している。このような価値観は王世貞が書中で言及した「絵画は宋代のものを重んじる」という考えと一致している。

    • 明 永楽 甜白雲龍紋高足碗
    • 明 永楽 甜白雲龍紋高足碗
    • 明 永楽 甜白雲龍紋高足碗
    • 明 永楽 甜白雲龍紋高足碗
    • 明 永楽 甜白雲龍紋高足碗
    • 明 永楽 甜白雲龍紋高足碗
    • 明 永楽 甜白雲龍紋高足碗
    • 明 永楽 甜白雲龍紋高足碗
    • 明 永楽 甜白雲龍紋高足碗
    • 明 永楽 甜白雲龍紋高足碗
    • 明 永楽 甜白雲龍紋高足碗
    明 永楽 甜白雲龍紋高足碗_プレビュー

    明 永楽 甜白雲龍紋高足碗

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)
    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    この高足碗の口は外側に開いており、碗は深く、長い足が付いている。素地は滑らかで非常に薄い造りとなっている。全体に温かな潤いの感じられる白い釉薬が施されている。碗の内側は「錐拱」という装飾技法を用いた雲龍紋で飾られており、中心に2行4文字の「永楽年製」という篆書款がある。王世貞の弟の王世懋は『窺天外乗』で次のように述べている。「…我が国は浮梁県の景徳鎮に窯場を設けた。永楽、宣徳年間を通して内府は磁器を制作させ、それは現在も貴ばれている。当時は騌眼のある甜白の磁器が一般的で、蘇麻離青(コバルト)で装飾し、鮮やかな赤を宝とした。」永楽時代に内府が焼造した甜白磁器をわざわざ取り上げているのは、16世紀に至っても貴重品扱いされていたことを意味している。

    • 明 宣徳 青花仕女図碗
    • 明 宣徳 青花仕女図碗
    • 明 宣徳 青花仕女図碗
    • 明 宣徳 青花仕女図碗
    明 宣徳 青花仕女図碗_プレビュー

    明 宣徳 青花仕女図碗

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)
    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    この仕女図碗は青花で装飾されている。外側には遠山と近景の水辺が描かれており、樹木と雲彩の中に二人の麗人がいる。そのうちの一人は建物の中にいて簫を吹いている。もう一人は鳳に乗って空を飛んで来たところである。底に二重枠内に書かれた「大明宣徳年製」の楷書款がある。宣徳時代の青花磁器に初めて登場した仕女図は、この時代を代表する紋飾でもある。この作品のような簫を吹く人や鳳に乗る人のほか、鶴に乗る人、月見を楽しむ人、水榭で涼む様子、詩的な秋の夕暮れの眺め、詩意溢れる海棠の花などの模様がある。王世貞は著作の『觚不觚録』で次のように述べている。「…15年来、宣徳は瞬く間に重んじられるようになり、永楽と成化に至っては、価格がすでに10倍にもなっている。」その当時、宣徳磁器は鑑賞対象の主流に格上げされ、それが市場価格にも反映されていたことがわかる。

    • 明 成化 闘彩人物図杯
    • 明 成化 闘彩人物図杯
    • 明 成化 闘彩人物図杯
    • 明 成化 闘彩人物図杯
    • 明 成化 闘彩人物図杯
    • 明 成化 闘彩人物図杯
    • 明 成化 闘彩人物図杯
    • 明 成化 闘彩人物図杯
    明 成化 闘彩人物図杯_プレビュー

    明 成化 闘彩人物図杯

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)
    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    この杯は口がややすぼみ、深さがあり、低い高台が付いている。外側の模様は水辺と樹木で二つの空間に分けられている。一面には緑色の袍を着た高士と赤い服を着て琴を抱えた童子が描かれており、二人は松の木の下に佇んでいる。もう一面には赤い袍を着た男性が岸辺に腰を下ろしており、書物を持った童子と水辺の野鳥を眺めている。底には二重枠内に青花で書かれた「大明成化年製」という楷書款がある。王世懋は『窺天外乗』で成化時代の作品について触れた際に「その焼き物は五色の輝きを重んじている」と、取り立てて説明しており、色とりどりの作品は、16世紀の文人が成化器を鑑賞する際、最優先の鑑賞対象だったことがわかる。また、成化時代の作品もこの頃は次第に宣徳器に比肩する存在となっており、評判も一層高まり、更に多くの称賛を受けるようになっていた。

    • 宋人 緙絲僊山楼閣
    • 宋人 緙絲僊山楼閣
    • 宋人 緙絲僊山楼閣
    宋人 緙絲僊山楼閣_プレビュー

    宋人 緙絲僊山楼閣

    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    緙絲は観賞用としてだけでなく、書画の包首としても使われていた。第一に書画を保護するためで、第二に巻物内の作品の種類を識別する役割があった。王世貞が見た「僊山楼閣」という緙絲は、造りは精工だが絵画らしい趣に欠けており、宋代の経函を包む古い物だった。この楼閣と人物を描いた緙絲作品は中軸の対称的な構図になっており、織りも非常に鮮明で、絵画に近づけた緙絲とは全く異なる風格がある。王世貞はまた、最近作った緙絲を骨董品に見せかけて高く売ろうとしているが、識別は難しくないとも述べている。本院が所蔵する別の緙絲はサイズが本作の半分ほどで、上部に偽題が加えられており、元代の虞集(1272-1348)の署名がある。どうやら王世貞の時代には、この種の「仙山楼閣」の緙絲が非常に好まれたらしく、複製作品が大量に作られたようである。

    • 宋 朱克柔 鶺鴒紅蓼
    • 宋 朱克柔 鶺鴒紅蓼
    • 宋 朱克柔 鶺鴒紅蓼
    • 宋 朱克柔 鶺鴒紅蓼
    • 宋 朱克柔 鶺鴒紅蓼
    • 宋 朱克柔 鶺鴒紅蓼
    • 宋 朱克柔 鶺鴒紅蓼
    • 宋 朱克柔 鶺鴒紅蓼
    宋 朱克柔 鶺鴒紅蓼_プレビュー

    宋 朱克柔 鶺鴒紅蓼

    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    王世貞は『弇州山人四部稿』で、明代晩期に作られた新しい緙絲を骨董品に見せかけ、それが高値で売買されていることに触れている。古代の絵画の巨匠との関連性を強調することで、緙絲書画の価格を吊り上げるだけでなく、明代は宋代緙絲の名家を称賛する傾向も強まった。現在知られている宋代緙絲の作家では朱克柔が最も名高いが、最も複雑な面を持つ作家でもある。この作品は鏤絵集錦冊の6頁目にあたる。大小様々な緙絲作品計11幅が収録されており、その中の4幅には「朱克柔印」の織印があり、4幅の図案は異なっている。本作には張鏐の印記がある。張鏐は清代初頭の人物で、揚州の表装の名人兼骨董商だった。この冊は張鏐が編纂や表装を手がけたか、何らかの形で関わった可能性がある。

    • 明 文徴明 自書紀行詩
    • 明 文徴明 自書紀行詩
    • 明 文徴明 自書紀行詩
    • 明 文徴明 自書紀行詩
    • 明 文徴明 自書紀行詩
    • 明 文徴明 自書紀行詩
    • 明 文徴明 自書紀行詩
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    明 文徴明 自書紀行詩_プレビュー

    明 文徴明 自書紀行詩

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)

    文徴明(1470-1559)、蘇州の人。名は壁、字は徴明。詩文と書画ともによくし、鑑蔵にも優れていた。蘇州文壇の領袖であり、王世貞に当代最高の書法家三人のうちの一人と讃えられた。

    この詩文は上京の道すがらに詠んだもので、本作はその15年後に書かれた。素早い用筆には力がこもり、ぞんざいな箇所は全くない。筆鋒の変化に細心の注意を払い、結体は引き締まっている。筆意は途切れることなく連綿と繋がり、様々な姿が見られる。大勢の門人を抱えていたことから、文徴明の行草も時代を代表する書風となった。

    • 明 祝允明 書陶淵明閑情賦
    • 明 祝允明 書陶淵明閑情賦
    • 明 祝允明 書陶淵明閑情賦
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    • 明 祝允明 書陶淵明閑情賦
    • 明 祝允明 書陶淵明閑情賦
    明 祝允明 書陶淵明閑情賦_プレビュー

    明 祝允明 書陶淵明閑情賦

    • 冊頁
    • 故書000285-1~6
    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    王世貞が明代書壇において最も傑出した書家としたのが祝允明(1461-1527)と文徴明(1470-1559)、王寵(1494-1533)で、呉中三家に対する観点も示しており、現在も書法史上では主流の説となっている。

    この作品の用筆は明快だが精緻、簡潔な線には潤いがある。円熟した中にも清雅な気質が感じられ、文字ごとに豊かな変化と工夫がある。撇と捺、横と縦は自由に伸び広がり、それにより作品全体がうまくまとまっている。本冊の書風は独特で、作家の独立不羈な個性が表現されており、小楷を極め尽くした祝允明の非凡な成果を代表する作品である。

    • 明 王寵 千文
    • 明 王寵 千文
    • 明 王寵 千文
    • 明 王寵 千文
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    • 明 王寵 千文
    • 明 王寵 千文
    • 明 王寵 千文
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    • 明 王寵 千文
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    • 明 王寵 千文
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    明 王寵 千文_プレビュー

    明 王寵 千文

    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    王寵(1494-1533)、字は履吉、蘇州の人。40歳という若さで世を去ったが、王世貞により当代最高の書法家の一人として讃えられた。

    王寵の書風は王羲之(303-361)と虞世南(558-638)に遡れるが、同時代の祝允明(1461-1527)と蔡羽(?-1541)の影響の方が大きい。この草書は字間、行間が適度に開き、拙い中に巧みな筆致が見られ、誠実な純朴さが感じられる。一見すると平淡に思えるが、結字や筆画は変化に富んでおり、清らかで脱俗的な雰囲気と洗練された趣が自ずと溢れている。

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