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幅広い学識と権威の確立

天賦の才に恵まれ、記憶力に優れた王世貞は幼少の頃から大量の書物を熟読し、文化的な素養を充分に備えた、飛び抜けて優秀な人物でした。一家に災難が降りかかってからは文芸活動に専心し、「離薋園」を建て、俗世を離れて隠棲しました。その後、更に遠方の静かな土地を見つけて「弇山園」を築き、親しい友人らを招くなどして、庭園が社交生活の大切な場となったのです。人並み外れた体力も、王世貞が様々な雅集を巡り歩くことを可能にしました。王世貞は早年、厳嵩(1480-1567)と張居正(1525-1582)という当時の権力者と対立したため、公明正大な人というイメージがあります。途切れることなく文会に参加し、結社を作り、各地に大勢の友人がいました。また、幅広い学識と批判力を生かして文芸批評制度も創出しました。王世貞はこれらの出来事によって次第に世間の耳目を集める人物となっていったのです。王世貞の影響力は瞬く間に全国に伝わり、李攀龍(1514-1570)が世を去ってから後、20年以上の長きにわたって文壇を牽引し、16世紀後半における文化界の領袖的人物となったのです。

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    • 清 顧沅輯 呉郡名賢図伝賛
    • 清 顧沅輯 呉郡名賢図伝賛
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    • 清 顧沅輯 呉郡名賢図伝賛
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    • 清 顧沅輯 呉郡名賢図伝賛
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    • 清 顧沅輯 呉郡名賢図伝賛
    • 清 顧沅輯 呉郡名賢図伝賛
    • 清 顧沅輯 呉郡名賢図伝賛
    • 清 顧沅輯 呉郡名賢図伝賛
    • 清 顧沅輯 呉郡名賢図伝賛
    清 顧沅輯 呉郡名賢図伝賛_プレビュー

    清 顧沅輯 呉郡名賢図伝賛

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)

    蘇州は芸術文化が非常に盛んで名家が輩出したが、各時代に編纂された、この地の名家の伝記や絵画の多くは散逸し、不完全なものしか残されていない。蔵書家の顧沅(1799-1851)は古今の名賢570人の肖像画を収集していた。道光年間に滄浪亭の再度の修築工事が完了してから、職人にそれらの肖像画を石に彫刻させ、滄浪亭の隣に新しく建てた名賢祠の壁にはめ込んだ。後に小伝と賛辞が加えられ、それらは全て出版された。王世貞と王世懋兄弟の肖像画は全て孔継堯が描いたもので、考証の結果、服飾や装身具は憶測や想像で描いた架空の物ではないことがわかっている。人物の多くは微かに笑みを浮かべ、穏やかで親しみやすい雰囲気がある。賛辞では、世貞は「職務に精通」、世懋は「礼を尽くす謹厳な人物」と讃えられている。また、この二人の兄弟は「父の雪辱を果たし、冤罪を晴らした」とあり、公平かつ正当な歴史的評価だと言える。

    • 明 王世貞 山園雑著
    • 明 王世貞 山園雑著
    • 明 王世貞 山園雑著
    • 明 王世貞 山園雑著
    明 王世貞 山園雑著_プレビュー

    明 王世貞 山園雑著

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)
    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    王世貞は文壇で活躍したのみならず、園林(庭園)修築にも造詣が深く、評論家としても優れていた。江南地方の造園ブームの牽引役で、王世貞が修築を手がけた「弇山園」の名は天下に轟いた。王世貞は各地の名園を訪ね歩くのを好み、多数の園記が残されている。物理的な園林はいつか必ず消滅してしまうが、文字として記録した場合のみ「永遠に見られる」と、王世貞は考えていた。

    本書は上下2巻からなる。自身の園林を題詠した詩文が収録されており、巻頭にある4幅の版画で園林の一部の景観が知れる。自序には、この書を編集したことで「以代余答」(この本が自分の代わりに多くの質問に答えてくれる)と書かれている。王世貞が書いた8篇の園記には園林の風景が紹介されているほか、観覧ルートも絵図で示され、訪れた客人がよく尋ねる疑問にも答えており、山園の主人が自ら解説する園林ガイドブックとなっている。

    • 明 王世貞銘涵星硯
    • 明 王世貞銘涵星硯
    • 明 王世貞銘涵星硯
    • 明 王世貞銘涵星硯
    • 明 王世貞銘涵星硯
    • 明 王世貞銘涵星硯
    • 明 王世貞銘涵星硯
    明 王世貞銘涵星硯_プレビュー

    明 王世貞銘涵星硯

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)
    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    この硯は長方形で、底が斜めにくり抜かれており、その部分に片手を入れて持ち上げることができる。この硯の形状は宋代特有のものである。硯台の墨池の端に短い柱状の突起がある。その突起の芯は石眼で、青緑がかった黄色を呈している。一般に「星」と喩えられる。石眼は岩石が成形される過程で鉄分が集まって変化した結核体である。宋人はこの石眼を非常に重んじ、黒い墨池にある石眼を、夜空にかかる月や星のようだと想像し、文雅な芸術的意味を与えた。硯側には王世貞による草書の題詩が彫刻されている。「玉為質、温潤而栗。金為声、和之則鳴。世貞。」(玉のような質感、温潤だが威厳がある。金のような音色、調和的な響き。世貞。)明代に制作されたこの倣宋硯は王世貞ら明人の宋代文化への敬慕を表している。

    • 明 王世貞 五言草書
    明 王世貞 五言草書_プレビュー

    明 王世貞 五言草書

    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    王世貞の扇面画は伝世作品が少ないが、本作はそのうちの一つである。自作の五言古詩「秋日離薋園即事作」(『弇州山人四部稿』収録)一首が書いてある。「離薋園」とは、王世貞が造園した私家園林の一つで、嘉靖42年(1563)に太倉(現在の蘇州市)に築かれた。

    王世貞の書法は行草書に見るべきものがあり、魏晋書法の境地に達している。朱謀垔(1584- 1628)はその書を「筆法古雅」と評した。全体の用筆に生き生きとした動感があり、墨色も豊かに変化している。「遥」という字の辵部「⻍」の結体は章草と関わりがあり、書学の来歴と素養が反映されている。

    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    • 明 周天球 墨蘭
    明 周天球 墨蘭_プレビュー

    明 周天球 墨蘭

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)

    この手巻は蘇州の画家周天球(1514-1595)が1580年に徽州の儒商方用彬(1542-1608)、字「元素」のために描いた作品。本巻は10段に分けられており、多種多様な蘭が描かれている。余白に書かれた多数の題跋は60を超える。蘇州や徽州、江西、広東など、各地の文人や名妓、僧侶などが名を連ねている。これらの題跋を見ると、当時の江南地方の交友関係が知れる。その中には王世貞の友人らも含まれている。

    王世貞は周天球の書法を非常に高く評価していた。この年、周天球は将来自分の伝記を書いてくれることを条件に王世貞の求めに応じ、再び『道徳経』を臨模している。

    • 明 王世懋 行草書七言律詩
    明 王世懋 行草書七言律詩_プレビュー

    明 王世懋 行草書七言律詩

    • 第1期 10.5(水)-12.25(日)

    王世懋(1536-1588)、字は敬美、号は麟洲、王世貞の弟。嘉靖38年(1559)に進士となり、官は南京太常少卿に至った。著書に『王奉常集』、『芸圃擷餘』などがある。書法に優れ、兄にも高く評価されていた。王世貞は弟について次のように述べている。「我ら王氏の墨池一派は烏衣と馬糞に全て持っていかれ、現在はこれといった人材もいない。幾らか期待できるのは我が弟だ。」この発言からも実の弟への期待が見て取れる。

    この作品は「焦山訪汪伯玉司馬時方率子弟設大斎」という七言絶句一首が書いてある。草法は熟練の域の達し、意気軒昂としている。汪伯玉即ち汪道昆(1525- 1593)は後五子の一。隆慶6年(1572)に兵部右侍郎に抜擢されたことから、司馬とも言われる。この詩により二人に交遊があったことが知れ、おそらく37歳以降の作品と推測できる。

    • 元 張雨 題倪瓚像
    • 元 張雨 題倪瓚像
    • 元 張雨 題倪瓚像
    • 元 張雨 題倪瓚像
    • 元 張雨 題倪瓚像
    • 元 張雨 題倪瓚像
    • 元 張雨 題倪瓚像
    元 張雨 題倪瓚像_プレビュー

    元 張雨 題倪瓚像

    • 第2期 12.28(水)-3.21(火)

    元代末期の高士倪瓚(1301-1374)を描いた名作で、巻末に王世貞が1565年に書いた観跋がある。その近くに書かれた同時代の題跋を見ると、この名跡は当時の蘇州の著名な文人張鳳翼(1527-1613)の収蔵品だったことが知れる。1560年に王世貞の父が逝去すると、王氏兄弟は蘇州に戻り喪に服した。1564年に喪が明けてから、積極的に蘇州の文人らの集会に顔を出し、各方面に友人を作った。この作品の巻末にある観跋がその一例で、この時代の蘇州では互いに収蔵品を見せ合って、風雅な鑑賞活動を行っていたこともわかる。

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