三家の影響
范寛(950頃-1032以降)、郭熙(1023頃-1087 以降)、李唐(1049頃-1130以降)は宋代山水画壇を代表する三大家です。その筆墨技法や山水造境の意趣は広く後世の画家にも用いられ、重要な典型として歴代画家たちがその画法を学び、皇室や貴族、文人、庶民らにも尊ばれ、古代から現代に至るまで影響を与え続けています。
こちらのコーナーでは、三家の風格に影響を受けた絵画を展示します。制作年代は元代から民国にまで及び、同名の模写作品、三家の風格に倣った作品、三家の名を借りた作品など、計九幅をご覧いただきます。気勢雄大な巨碑式山水の模写は、その風格上の特色が改めて解釈されて小さな冊頁や立軸にされました。それぞれの作品からは、古画から学びつつ新たな創造を行った時代的特徴も見て取れます。これら後世の模写作品とその軌跡は、三家の画風が継承されていった歴史的な流れが見られるのみならず、山水画史上における范浩、郭熙、李唐の典範としての地位を確固としたものにしています。
- 清人 (原題 宋 范寛) 行旅図
- 軸
- 絹本淡彩
- 縦155.3cm 横74.4cm
范寛(950頃-1032以降)の「谿山行旅」と比較すると、構図は同様だが画幅がやや小さく、中景の開けた場所や橋のある箇所が広く取られており、主山の気勢は原作の雄大さに及ばない。渾然一体となった山石に細緻な筆墨、近代の研究では、王翬(1632-1717)による倣作ではないかと推測されている。
本作は王時敏(1592-1680)の収蔵品だった。左側の裱綾にある王時敏による題跋(1671)には、かつて范寛の画跡を所蔵していたとあり、右側にある宋駿業(1713以前に活動)の題跋(1696)には、王翬が范寛の作品を縮本として臨模したことが記されている。
- 明 藍瑛 倣李唐層巌紅樹
- 冊
- 絹本着色
- 本幅縦32.4cm 横55.7cm
藍瑛(1585-1664以降)、浙江銭塘(現在の浙江省杭州市)の人。浙派後期の画家。本作は『仿古冊』所収の一幅で、唐、五代、宋、元の名家の倣作計十開が収録されている。
この作品には対角線構図が用いられている。右側には複雑に重なる岩石が描かれており、山石は主に側鋒の斧劈を用い、岩の面や構造の描写に重きが置かれている。後方の遠山は淡くぼかされており、遠景と近景が表現する虚実が互いに映えている。着色は清新かつ艶やかで美しい。各幅が諸家の筆法に倣ったものと記されているが、それぞれの画法が融合しており、画家個人の風格が全作に表れている。
- 明 唐寅 観瀑図
- 軸
- 紙本淡彩
- 縦103.6cm 横30.3cm
唐寅(1470-1524)、字は伯虎、江蘇呉県(現在の江蘇省蘇州市)の人。周臣(1450-1535に活動)に師事し、宋元の諸家を学んだ。各名家の長所を取り入れた本作は、文人画と南宋院体の風格が融合している。
この作品には険しく高大な山が描かれている。山石の模様は斧劈皴で描かれており、岩壁の間からは滝が角度を変えながら流れ落ちている。近景の急流は虹のように重なっており、墨で丁寧に線が描いてある。木陰に腰を下ろした高士が滝を眺めつつ水音を聞いており、一人の童子がその後ろに控えている。重なる景物の配置も明瞭で、縦方向に奥行きのある空間となっている。
- 民国 溥心畬 古道斜陽
- 軸
- 紙本着色
- 縦95cm 横36cm
- 寒玉堂寄託
溥儒(1896-1963)、字は心畬、号は西山逸士。古人を師として絵画を学んだ。文才と芸術面での成果は大きく、後代でも重んじられている。
この作品には秋山とせせらぎが描かれている。長い橋の中ほどに牧童がいて、力一杯に牛を引きながら橋を渡ろうとしている。その後ろには杖をついた文士がいる。生気溢れる筆致で山野の日常が描写されている。山石は主に側鋒による皴擦で描かれており、樹木の幹枝の先端は蟹爪のようになっている。自題には倣李唐(1049頃-1130 以降)、郭熙(1023頃-1087 以降)とあるが、画家個人の味わいがあり、秀麗で清雅な趣漂う文人画となっている。