鑑古遠思
乾隆帝と古銅器
乾隆帝は清朝宮廷所蔵の古銅器のために、個別に詩文を書きました。文中からは歴史への思いや儒学の知識が見て取れます。このほか、乾隆帝は在位期間中に群臣を召集し、宋徽宗帝の勅命により編纂された『宣和博古図』(1123)を参考に、手描きの絵図と模写により、大量に収蔵していた銅器の実際の形状や大きさなどを1冊ずつまとめた図録を制作しました。この図録に記載された器物を見ると、当時、宮廷に収蔵されていた銅器の種類の豊富さがわかります。器物の年代は殷、周代から漢、唐代にまで及び、中原の様式だけでなく、異国の銅器も含まれています。
乾隆24年(1759)に回部が平定され、江西から古鐘11点が出土すると、瑞兆とみなされました。その鐘が宮廷に進呈されてから、乾隆帝は古鐘の音律について研究を重ね、三代の気風に思いを致しました。11点あった古鐘のうち、現存するのは4点のみで、今回は2点を展示します。この2点の甬鐘の形状や様式、紋飾は全て等しく、大きさも同様です。この鐘の持ち主は春秋呉王の子「者減」です。鐘を制作して皇祖に祈りを捧げ、優雅な音色が悠揚と響き渡り、子孫が末永く繁栄するようにと願ったのです。
『西清続鑑・甲編』(附録)には銅器38点が収録されている。全てが大清帝国西部と西南方面からもたらされたもので、容器や兵器、楽器、印章、貨幣などがある。伝統的青銅器の漢字文化や装飾法とは異なる、他地域の風格や特色が見られる。これら異境の銅器が膨大な宮廷コレクションの一つとして収蔵されると、目録の編纂や研究が進められ、乾隆帝による清帝国の武功を文化面で示すものとなった。
乾隆年間に編纂された初の銅器図録『西清古鑑』(1755)は計40巻と銭録16巻からなる。2部目の『寧寿鑑古』16巻(1781頃)には、新たに収蔵品となった銅器が収録され、改築後の寧寿宮に置かれた。3部目の『西清続鑑』(1793)は2部からなる。『甲編』20巻には紫禁城の収蔵品、『乙編』20巻には盛京奉天行宮の収蔵品が収録されている。以上の図録を合わせて「西清四鑑」または「乾隆四鑑」と称する。総計4105点の器物が収録されており、朝廷が編纂した伝世の図録としては最大規模の銅器図鑑である。
西清古鑑
- 清 梁詩正等奉勅撰
- 清乾隆二十年武英殿刊本