学古有獲
銅器の組み合わせへの理解と再現
乾隆帝は礼器の応用という視点から古銅器の組み合わせを再考し、国子監の孔子廟で用いる祭器としました。文物に関する知識が深まるにつれ、銅器に対する理解にも大きな変化がありました。単品の銅器に比べると、異なる器物類の組み合わせとその関係性からは、制作者の身分や時代的背景などがより探求しやすくなります。銅器の銘文を見ると、乾隆時代の宮廷所蔵品の中に、同一の氏族が制作したものがあるほか、全く同じ制作者が組み合わせた銅器もあり、出土資料と相互に結び付けることもできます。時の流れとともに、歴史の場にあった銅器は宮廷コレクションとなり、博物館に収蔵され、繰り返し解説文が書かれる中で、古物を記録し、時代も記録しているのです。
国子監は古代の教育管理機構であり、最高学府でもありました。礼儀の定制を重んじた乾隆帝は、14年(1749)に木製と磁器製の祭器を銅器に交換させました。33年(1768)には、大学士傅恒に国子監文廟の修築を命じました。その翌年に修築工事が完了すると、周王朝を理想とした孔子の志を尊び、内府所蔵の周代銅器10点を選んで文廟大成殿に配置し、礼器として備え置くこととし、それらの銅器を「周笵十器」と総称しました。
- 漢 素洗
- 『欽定国子監志』
46卷16頁「周素洗」
収録
- 『欽定国子監志』
- 戦国中期 嵌孔雀石緑松石犧尊
- 『欽定国子監志』
46卷5頁「周犧尊」
収録
- 『欽定国子監志』
- 西周早期 康侯方鼎
- 『欽定国子監志』
46卷3頁「周康侯鼎」
収録
- 『欽定国子監志』
- 南宋~明 内言卣
- 『欽定国子監志』
46卷6頁「周内言卣」
収録
- 『欽定国子監志』
- 商(殷)代晚期 子爵
- 『欽定国子監志』
46卷15頁「周子爵」
収録
- 『欽定国子監志』
- 南宋~明 獣面紋觚
- 『欽定国子監志』
46卷14頁「周雷紋觚」
収録
- 『欽定国子監志』
- 南宋~明 嵌金銀雲紋壺
- 『欽定国子監志』
46卷9頁「周雷紋壺」
収録
- 『欽定国子監志』
- 南宋~明 召仲簠
- 『欽定国子監志』
46卷10頁「周召仲簠」
収録
- 『欽定国子監志』
- 商(殷)代晚期~西周早期 円渦紋罍
- 『欽定国子監志』
46卷8頁「周犧首罍」
収録
- 『欽定国子監志』
- 南宋~明 大師望簋
- 『欽定国子監志』
46卷12頁「周盟簋」
収録
- 『欽定国子監志』
「」は商(殷)代晩期の族氏銘文で、一般に「亞醜」と読みます。現在、亞醜の銘文がある銅器は百数点ほどあり、ほとんどが伝世器で、その多くが乾隆年間に編纂された銅器図録に収録されています。この他に山東益都蘇埠屯で出土した銅器が十数点あります。この地はおそらく亞醜族氏の墓地で、最も豪華な作りの大墓の主は、商王朝に仕えていた、その地域の軍事面での指導者だったと思われます。
芮国は周代姫姓の封国で、周康王の頃、芮伯は重要な輔佐大臣でした。乾隆年間に収蔵された宮廷銅器の中に、銘文と器物の時代的特徴から判断すると、春秋早期のものと考えられる「芮公」銅器1組があります。それには鼎や簋、壺、鐘が含まれます。陝西韓城梁帶村で発掘された芮桓公墓葬はその子孫の遺跡です。
- 春秋早期 芮公鼎
- 『西清古鑑』
2卷8頁「周太公鼎」
収録
- 『西清古鑑』
- 春秋早期 芮公鼎
- 『西清古鑑』
6卷1頁「周蟠夔鼎一」
収録
- 『西清古鑑』
- 春秋早期 芮公簋
- 『西清古鑑』
27卷9頁「周太公敦二」
収録
- 『西清古鑑』
- 春秋早期 芮公壺
- 『西清古鑑』
19卷4頁「周太公壺一」
収録
- 『西清古鑑』
- 春秋早期 芮公鐘
- 『西清古鑑』
36卷6頁「周太公鐘」
収録
- 『西清古鑑』