御製の風格
康熙帝が主導して進められた琺瑯彩磁器の制作は、宮廷の役匠や地方の名工、その間を行き来した西洋人宣教師らの協力の下、18世紀初頭にようやく完成しました。それまでの伝統的な彩磁器に比べると、西洋的なイメージを凌駕する新作で、「康熙御製」が明確に表示されたのみならず、過去の作品よりも明るく鮮麗な色彩や装飾模様が施されていました。こちらのコーナーでは、「皇家の標記」、「山中の花と野菊」、「宮廷での流行」─三つの視点から作品を鑑賞しつつ、康熙御製琺瑯彩磁器の風格の特色についてご紹介します。
この中の3点は底に「康熙御製」の款があり、「御製」という特色が明確に示されています。
皇家の標記
15世紀から陶工らは皇帝の年号を官窯磁器の款識とするようになりました。特に書款が定制化されてからは、歴代朝廷の作例から、初めに年代、次に帝号、最後に製作年という順に記してあり、一つの書式として概括することができます。例えば、景徳鎮で制作された康熙朝磁器には「大清康熙年製」と書いてありますが、「康熙年製」と簡略化したものもあります。これに対して、皇家の工房で落款が入れられた琺瑯彩磁器には「御製」とあり、皇帝を示す「御」という文字があることで、極めて特徴的な皇家の標記となっています。
山中の花と野菊
康熙朝の琺瑯彩磁器の大半は花々の模様で装飾されています。何の花か識別できる模様もあれば、極度に図案化されたものもあります。注目に値するのは、リアルな花々の中に、淡色の花とともに時折現れる青い菊の花です。主題となる模様ではありませんが、康熙御製琺瑯彩磁器によく見られる小さな印です。この小さな花の出現を、康熙44年(1705)に皇帝が題記を入れた、蒋廷錫(1669-1732)の「野菊」という絵と対照してみましょう。康熙帝は「山花野菊喜清風、塞北烟光報嶺楓」と、塞外で見かけた小さな野菊を詠じており、旅の途中の思い出を御製作品に取り入れた、興味深い逸話の一つとして捉えることができます。
赤紫色の花叢の中に小さな青い菊の花が咲いています。この花は康熙帝が塞外(中国大陸の長城以北の地域)に巡幸した際の旅の思い出です。
宮廷での流行
康熙朝の皇家工房で使用された琺瑯料の大半が西洋からの輸入品でした。雍正6年(1728)になってようやく役匠などが琺瑯料の製造に成功し、それ以降は輸入品と国産品の併用が一般的になりました。このことから、宮廷の職人が初めて手にした顔料と色彩は、地方からもたらされた桃紅色の顔料のほか、展示品に見られる黄や緑、青、赤、紫、黒などと、それらを混ぜ合わせて作った様々な彩料があったことがわかります。他の国では見られない、18世紀の清朝宮廷独特の流行だったと言えます。