皇帝の実験室でできた試作品
西洋の画琺瑯器をことのほか好んだ康熙帝は、清国オリジナル作品の制作に着手しました。その発展過程が見て取れるこちらの展示作品は、皇帝の実験室で制作された創成期の試作品と見なすことができます。
本院が所蔵する清朝旧蔵品は全てに収蔵番号が付いています。民国初年の付番規則を手がかりに、民国14年(1925)以前、その文物がどこに貯蔵されていたかを、遡って知ることができます。どの試作品にも「律」という文字が書いてあるので、もともとは紫禁城の景陽宮に収蔵されていたことがわかります。釉による装飾や模様により分類すると、さらに2組に分けることができます。1組目は胭脂紅彩の系統です。地方の名工が模倣した西洋の金紅彩で、清国の技術を生かして釉に「金」という要素を加えて完成させた、新しい釉彩です。もう1組は白磁碗や盤の完成品に、輸入彩料で人物や花卉の模様を試験的に描いたものです。
地方の情報
広東巡撫と両広総督を務めた楊琳(?-1724)は、任期中に3度(1716-1718)も康熙帝に上奏しました。他者から託された西洋の琺瑯料を皇帝に進呈したほか、民間の名工らが画琺瑯器の試作を強く希望していることや、紅彩の研究開発を積極的に行っていることを、上奏文で再三強調しています。
試作の年代
この試作品一組には、康熙年製と書いてあるものは一つもありません。制作年が記されているのは、「又辛丑年製」(1721)のみです。明朝款のあるその他の作品と明朝の標準的な款識とを比較してみると、永楽、宣徳、成化、弘治年間の各種款識の標準とは異なっており、後の時代に明款を模倣した作例であることがわかります。また、一部の作品は器形にも康熙朝の特色が表れていることから、総合的に考えると、これらの作品の制作年代は早くとも康熙朝の頃だと推測できます。
西洋人女性の肖像画
碗の外側にある開光画(飾り窓風の装飾模様)には、それぞれ表情も姿態も違う西洋人女性の肖像画が4幅描かれています。風格と技法が中国伝統の様式とは異っていることから、西洋画琺瑯工芸の発展過程におけるミニサイズ肖像画の出現と17世紀中葉以降の流行が見て取れ、宣教師マテオ・リパの書簡(1716)─リパとカスティリオーネ(郎世寧)が皇帝から琺瑯画を試作するよう求められたことにも間接的に呼応しており、このことも康熙御製琺瑯彩磁器の草創段階に存在した西洋の要素を示しています。
団螭紋と華やかな幾何模様
この碗には5面の団螭紋が描かれています。景徳鎮産の磁器、広東産の銅胎製品と比較してみると、康熙朝で登場した団螭紋が、18世紀を通して大いに流行したことがおおよそ説明できます。このほかに、碗の外側を飾る開光(飾り窓風の模様)や、ほぼ同じ大きさの方形を重ねて描いた華やかな模様もあります。一面に青い釉料で「十」の字が個別に書いてあり、一つ一つの立方体が突出して見えるだけでなく、平面的な図案により豊かな変化を与えています。