文青的趣向
文震亨と心がよく通い合っていた収集家たちは、経済的に何の心配もない状況下で、生活の中に於ける無用の長物を重視するようになりました。これらの収集家たちは、卓越した地位と見識を展開して、収集した器とモノ、書と絵画を、ついに日常生活のものとしたのです。一体、どのようにして日常の中から非凡なポイントを探し出し、収集家が秘める鑑賞の技としたのでしょう!
古代の銅や磁器、法帖や絵画、宋朝・元朝の善本などを如何に鑑別するのでしょうか。それは先ず全ての鑑識家は、昔の人を見倣うことから開始し、次いでその中から自らの独創性を創造しました。宋代 趙希鵠の《洞天清録》、明代 曹昭の《格古要論》は器の源流をはっきりと正確に考証しており、後世の鑑賞家の指南書となっています。文震亨より、少し前に生まれた鑑賞家の張応文、項元汴、屠隆らは、それぞれ自身の好みを持っており、古くからの優雅さを保持していました。これら文震亨と同時期の鑑賞家たちは、昔の方法から鑑賞する楽しみを見いだし、器物は古いものの、生活はあらゆることが新鮮で、日々趣を有していたのです。
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南宋 龍泉窯 青磁紙槌瓶
十六世紀の末葉、文人収集家に依る古玩の収集が始まると同時に、花を生けて器を吟味する風習や花材、用器の分類と使い方に対し、特に時代にマッチすることを強調する風習が生まれました。当作品を例に取ってみると、器の底には、乾隆帝の御製詩、「紙硾伝官式」があり、この器の形が「紙槌瓶」であることを説明しており、完全に張謙德が刊行した《瓶花譜》(1595)中の「可用花瓶」に呼応しています。