偽好物─16世紀~18世紀の「蘇州片」とその影響,展覧期間  2018.4.1-9.25,北部院区 第一展覧エリア 会場 206、208、210、212
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「偽好物」─清朝宮廷へ

 色彩鮮やかで丹念な描写が特徴的な蘇州の商業工房制作の倣古作品は、江南地域の各階級で人気を博したのみならず、王侯貴族や大臣が清朝皇帝に贈る献上品としても使われるようになりました。清代の皇帝たちはそうした贈り物が「偽好物」だと知っていたのでしょうか。それとも本当に古代から伝わる貴重な作品だと信じていたのでしょうか。康熙帝と雍正帝、乾隆帝が仇英と仇英倣古作品の影響を受けた蘇州産の偽古の風格を特に好んでいたのは明らかです。清朝宮廷は「蘇州片」を介して「古代」の題材や構図様式を取り入れました。例えば、康熙帝は宮廷画家に命じて蘇州片の「漢宮春暁」を模写させたほか、雍正帝も画家に蘇州片の「清明上河図」を模写させました。乾隆帝の時代になると、模写させた蘇州片の人気商品も多岐に渡り、蘇州片のモチーフや風格を「十二月令図」などの題材が異なる宮廷絵画にも取り入れました。清朝宮廷で制作された「院本」或いは「画院」などと記されたこの種の作品は、蘇州関連の「偽好物」がどのようにして盛清皇家の風格形成における重要な来源の一つとなったのかを示しています。

明 仇英 西園雅集図 軸

  1. 形式:絹本墨画
  2. サイズ:縦 79 cm 横 38.9 cm

 「西園雅集」とは、北宋時代の文人らにより、駙馬王詵邸の西園にて盛大に行われた会合だと伝えられる。蘇軾や李公麟、米芾などを含む、文壇の名家15名が参加したという。一般には、李公麟が絵で、米芾が文で記録したと言われるが、「西園雅集図記」について記した文章は、明代になってからようやく登場するため、この盛会とその記録文ともに疑問が残る。この作品は仇英作と伝えられるが、画風が似ておらず、蘇州片の一つと考えられる。乾隆帝はこの作品を大切にし、詩塘に「勝賞」と御題を入れただけでなく、「規模李氏画中人、底須着色求形肖」と書き入れている。「西園雅集図記」にある「李伯時效唐小李将軍為著色泉石」という一文を根拠として、李公麟の原図を模倣するならば、仇英は着色から形を似せるべきだとしている。

清 丁観鵬 摹仇英西園雅集図

  1. 形式:軸 絹本着色
  2. サイズ:縦 95.1 cm 横 43.9 cm

 丁観鵬は乾隆年間に古代の作品を大量に模写したが、模写の対象となった作品の多くは、明代に制作された偽作だったことがわかっている。この作品はその一例である。本作の底本は現在も本院に収蔵されている。全体が白描で描かれており、やや細長く貧弱な造形から判断すると、尤求の画風にかなり近い。蘇州片の場合、この類の白描画は仇英作とされることが多い。乾隆帝は底本の題詩に「底須著色求形肖」と記しており、この模写作品はその点を重視して描かれている。丁観鵬による模写は、構図は原図のままだが、人物や家具、植物が着色されている。呉派の淡雅な趣に近いが、より明るく鮮やかな色遣いとなっている。東屋の屋根の構造や柱、湖石などは、西洋の素描のような、陰影によるグラデーションが見られる。明代に商品として制作された白描画に、呉派の風格や外来の西洋画法を取り入れた作品である。

清 丁観鵬 倣仇英漢宮春暁図

  1. 形式:卷 絹本着色
  2. サイズ:縦 34.5 cm 横 675.4 cm

 丁観鵬(1708頃-1771或いはやや後の時代)、順天(現在の北京)の人。郎世寧(カスティリオーネ)に師事して西洋画法を学んだ。乾隆帝に認められ、しばしば「倣古」を命じられた。「漢宮春暁」はその一例である。「漢宮春暁」は歴史ある画題のように思えるが、明代から描かれるようになった新しい題材である。乾隆朝で特に好まれ、少なくとも四本の「漢宮春暁」が宮中で制作され、そのうちの三本には「院本」とある。この作品の底本は遼寧省博物館所蔵の白描画「漢宮春暁図」だと思われる。蘇州の工房で制作された人気商品の一つで、たいてい李公麟か仇英の白描画として販売された。宮中の公文書によれば、乾隆帝が丁観鵬に白描画の模写を命じる際は、薄く着色させたという。この作品も全体が淡く着色されているが、新奇な建築物や家具が配置されているなど、「古代」が思う存分想像力を発揮できる、最良の舞台と化している。