故宮所蔵の「蘇州片」を見ると、当時の収蔵家に好まれた人気商品が何種類もあったことがわかります。妃嬪たちへのロマンチックな想像をめぐらせた「漢宮春暁」や「百美図」、有名な詩文を題材にした叙事的な絵画─例えば、皇家の雄壮な狩猟の情景を描いた司馬相如(179 B.C.-118 B.C.)の「上林賦」、吉祥の意味合い濃厚な「群仙会祝」や「瑤池献寿」などの群仙図、教養や礼儀、倫理道徳を説く「二十四孝冊」や「養正図解」などがあります。展示作品には唐代の周昉や宋代の趙伯駒、元代の王淵、明代の仇英などの名が見えますが、色彩鮮麗な青緑で描かれた山石、布地や建築物の表面を彩る装飾へのこだわりや丹念な描写、叙事的な場面への偏好性など、いずれの作品にも「蘇州片」らしい特質が見て取れます。
展示品には「一稿多本」(同一稿で多数の作品が制作されている)の現象も見られ、「蘇州片」が商業的な工房で大量生産されていたことがわかります。品質に優劣のある同一稿の作品が存在することは、品質を基準にした価格差があった可能性を示しています。また、主題は異なるが画風や題跋、款印が同一のものは、「蘇州片」の工房が手掛けた偽作の題材と範囲を伝えてくれます。こちらのコーナーでは多種多様な「蘇州片」を前期と後期に分けて展示し、「偽好物」の魅力をご覧いただきます。
伝唐 周昉 麟趾図
- 形式:卷 絹本着色
- サイズ:縦 39.6 cm 横 327.7 cm
「麟趾」とは、宗室の子弟を指す。この作品には、后妃らが暮らす後殿の情景─沐浴をしたり、遊び回ったりしている子供らの姿が描かれている。唐代の作品ではないが、一部人物のふっくらした顔つきや腰高の唐装などは、明代に流行した、唐風の「周家様」に違いない。幼児をあやす、沐浴させるなどのモチーフは、周昉作と伝えられるほかの蘇州片にも現れる。また、明代の仇英特有の人物も混在している。例えば、椅子に坐する后妃は、仇英の「漢宮春暁」から取られている。横に展開する場面を繋ぐ人物もいるが、独立した絵としても見られる。当時の絵画工房で人気のあったモチーフを取り混ぜた作品とみなすことができる。
伝明 仇英 乞巧図
- 形式:卷 紙本墨画
- サイズ:縦 27.9 cm 横 388.3 cm
巻頭の樹木の幹に仇英の款印があるが、この絵の風格は仇英ではなく、尤求一派の白描の画風に比較的近い。ロウソクの灯りに照らされた庭園で、宮女たちが忙しなく花や果物、茶の支度をしている。屏風の前にいる嬪妃たちは何か書いたり、書物を読んだり、談笑したりと楽しげで、暇つぶし用の将棋盤まで用意されている。続いて、宮女らに囲まれた嬪妃が現れ、その後にいろいろな品物や机を運ぶ宮女が、三々五々緩やかに進む姿が続く。それから、青銅器や陶磁器など、骨董品の鑑賞を終えたばかりの妃らが集まり、星空に向かって針に糸を通す、「乞巧」の祭事が始まった様子を眺めている。卓上には磨喝楽(乞巧に使われる泥人形)が置かれ、手先が器用になるよう、子宝に恵まれるようにとの願いを込めて、神に奉じられている。全体に細部まで丹念に、美しく華やかに描かれている。七夕の様々な祭事や「乞巧」の描写を通して、宮中の女性たちの風雅な暮らしぶりがうかがえる。
伝宋 李公麟 画帰去来辞
- 形式:卷 紙本墨画
- サイズ:縦 34 cm 横 898.8 cm
蘇州片には、濃厚な青緑で着色された絵のほかに、墨のみで描かれた白描画も相当数あり、その多くが北宋の著名な文人画家李公麟の名を借りている。この作品もそのうちの一つである。「帰去来辞」の内容に合わせ、作者の陶淵明が舟で帰郷する場面から始まり、一本松を撫でながら立ち去りがたく徘徊する様子、傍らに杖を立てての畑仕事、清流に臨んで詩賦を詠む場景など、陶淵明が10回もする。詩賦には詳細な情景描写─ひび割れた塀や屋根の上にある鶏の巣、全体に模様のある青銅製の酒器などは記されておらず、全てが画中の丁寧な描写で説明されている。
巻末にある明代の沈度、金鈍、夏昶、文徴明の題跋は全て偽作である。偽跋中の印─「雲間沈度」と「侍講学士之章」は、宋の黄庭堅作と伝えられる「行書」巻の押印に近く、この二作は同一の偽造書画工房か偽造グループにより制作されたものと推測できる。
伝明 仇英 群仙会祝図
- 形式:軸 絹本着色
- サイズ:縦 99 cm 横 148.4 cm
画幅の左下に「実父仇英堇製」という落款がある。偽作とはいえ、緻密で細やかな描写は、「蘇州片」には稀な佳作だと言える。この絵は、王母娘娘の聖誕を祝う蟠桃大会に向かう仙人たちを主題としている。陸地と大海、天空の場景が重層的に描いてあり、複雑な構図も整然として美しい。この場を舞台にして、神仙たちと瑞獣らが様々な神通力を披露している。右下角に見える坂道には、張果老のロバで駆け回る李鉄拐の姿も見える。元神は瓢箪の中で一筋の光と化して弧を描きつつ飛翔し、天上の太上老君に謁見しようとしている。仙人たちの簡素な装束に対し、楼閣や道具類には複雑で華やかな装飾が施されている。赤い柱に金色の線で丹念に描き込まれた雲龍も、それぞれ違う図案にするほどの気の配りようである。人物と動物にやや難があるものの、作品全体の見事な出来栄えに影響はない。誕生祝いのために制作された、贈答用の高級品と思われる。
伝宋 趙伯駒 王母宴瑤池
- 形式:卷 絹本着色
- サイズ:縦 33.7 cm 横 401.3 cm
南宋時代の趙伯駒作と伝えられる本作には、周穆王が瑤池で西王母に拝謁する場面が描かれている。本院所蔵の趙伯駒「瑤池高会」に似た箇所もある。巻頭は、天を埋め尽くすほどの大波が逆巻き、濃い雲霧に覆われている。周穆王と従者らは降天する西王母により遣わされた車の到着を待っている。画面を横切るように描かれた高山を越えれば、瑤池のある仙境に赴くことができる。青緑を用いた山石の造形は変化に富み、緑色の苔点と赤い花が煌く宝石のように山石に散りばめられている。山間に立つ宮殿の眺めは実に壮観で、色鮮やかな衣と白い披帛を身にまとう仙人たちの姿も目を引く。中段には仙鶴が群れ集い、あちらこちらに祥雲がたなびいている。後段の湖にかけられた橋に、鹿が引く華麗な車に乗った西王母の姿が見える。緩やかに前進する儀仗兵が先導し、周穆王との相見の場に向かおうとしている。瑤池のある仙境の風景は、明代の『封神榜』などの通俗文学にしばしば登場する。本作に見られる精細な描写は、それらの華麗な世界が絵画として再現されている。
伝明 仇英 蟠桃仙会
- 形式:卷 絹本着色
- サイズ:縦 40 cm 横 440.5 cm
一段目には、つづら折りの山道から姿を現す仙人たちが描かれている。その身に備えた神通力は明らかで、海を渡って蟠桃の盛会に赴くところである。水面を進む仙人たちを見ると、青索で白い亀を御す者、金色の鯉に乗る者、芭蕉の葉に相乗りする者、仙槎と花弁に腰掛けている者など、様々である。次の段では、瑤圃で仙童や天女らがよく熟れた蟠桃を収穫し、箱にぎっしり詰めた蟠桃を、王母娘娘がおわす華麗な宮殿に届けようとしている。最後の段には、高台に登った仙人たちが玉皇大帝に拝謁する様子が描かれている。
署名は「仇英実父製」だが、本院所蔵の伝宋代方椿年「群仙彙祝図」に、雲気や建築物、山林、樹石などの線や色遣いが非常によく似ていることから、この二作は同じ蘇州片工房で制作された、「蟠桃仙会」類の作品と考えられるが、仙人や宮殿などを描いた場面の数が異なっている。価格の高低による違いなのかもしれない。
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伝元人 上林羽猟図
- 形式:卷 絹本着色
- サイズ:縦 47.5 cm 横 1298.2 cm
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伝明 仇英 上林図
- 形式:卷 絹本着色
- 尺寸:縦 44.8 cm 横 1208 cm
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伝明 仇英 上林図
- 形式:卷 絹本着色
- サイズ:縦 53.5 cm 横 1183.9 cm
文献によれば、昆山の大富豪周鳳来(1523-1555)は、母親の誕生祝いの絵画を制作するために仇英を招き、前漢の詩人司馬相如の「上林賦」をもとに、14mを超える長巻の制作を依頼したという。後にその作品の複製画が大量に作られ、宋元代名家の作と詐称されるものすらあった。
七段落からなる「上林賦」は、「子虚」と「烏有」、「亡是」の三人が盛んに議論している場面から始まり、次に広大な敷地を有する天子の庭園の美しさ─波が打ち寄せる水辺の風景、峰々が重なる山間に立つ離宮についての描写に続く。車駕や儀仗に囲まれた天子が登場すると、山林で狩りをしている士卒らを視察する場面に変わる。視察を終えた天子は宮女らをはべらせ、高台で盛大な宴を始めたが、このような贅沢や放逸な振る舞いは慎むべきだとふと我に返り、宴会も狩猟もやめて宮殿に帰る。
本特別展では、構図のよく似た版本違いの作品三巻─元人「上林羽猟図」と仇英作とされる二巻の「上林図」を展示する。前者は嘉靖戊戌年(1538)、後者は嘉靖壬寅年(1542)と、制作年が記されている。細部の描写や装飾法など、それぞれ長所や特色があり、比較しながら見ると非常に興味深く、当時、「上林図」がどれほど好まれていたのかも想像できる。
伝元 龔開 鍾進士移居図
- 形式:卷 絹本着色
- サイズ:縦 11.1 cm 332.6 cm
鍾馗が鬼卒を使って転居する光景が描かれている。鬼卒らは神龕や机、椅子などの家具を運搬している。そのほかに、如意を挿した花瓶を掲げ持つ者や、蜘蛛の笙を吊り下げて歩く者、元宝に立つ魁星像を持つ者などがいる。これらは「平安如意」、「連生貴子」、「三元及第」を象徴している。鬼卒らは転んで滑ったり、物を取り合ったり拾ったりと、滑稽な姿で描かれており、娯楽性が高い。吉祥寓意と面白さを兼ね備えたこの種の作品は、人気の高い売れ筋商品だったに違いない。
この作品の画風や署款は、龔開(1222-1307)作と伝えられる作品とは異なっている。拖尾にある仇英と于緝、祝允明の題跋は、フーリア美術館(米国)が所蔵する龔開「中山出遊図」の巻末にある王肖翁と孫元臣、王時の詩跋から取られている。祝允明の題跋に見える「晞哲」という印は、本院所蔵の仇英「山水」の印とよく似ており、同一の工房で制作された可能性もある。