十六世紀以来、宜興で焼かれた陶磁器には、紫砂器のほかに、陶器職人の欧氏が作ったとされるものがあります。文献によると、欧氏の手がけた作品は、鈞窯を模倣したものと哥窯に似た貫入(ひび模様)の入った陶磁器の二種類があったことがわかっており、清朝宮廷内の档案(公文書)には一律「宜興掛釉」と記され、民間では「欧窯」との呼び名もありました。また、後の新たな出土品の考証により、これまで「宜興窯」とされてきた一部の作品が、広窯に分類し直されました。いわゆる広窯とは広東省石湾地域で作られた陶磁器を指し、乳濁した釉薬の質感が宜興の鈞窯模作品と極めて近いものがあります。本展覧で展示される以上の作品は、すべて清朝宮廷に収蔵されていたもので、宮廷で使用されていた器物と対比しながら、庶民のスタイルと趣向をご紹介するとともに、宜興と広窯が混同された問題について考えます。