回部は欧州とアジアが交わる地帯に位置する多民族多言語の地域で、カザフ(哈薩克)、タジク(塔吉克)、ウズベク(烏茲別克)、ウイグル(維吾爾)などの民族が暮らしていました。シルクロードが通るこの地域は、交易を通して地中海文化やイスラム文化、インド文化が絶えず持ち込まれ、人々の活動範囲であれ、工芸技術の流伝であれ、国境線を越えて多元的な文化が交じり合う文化的特質が形成されました。モンゴル帝国は東西の二大文明を繋ぎましたが、清朝が内陸アジアを統治した際に再びそれが結ばれました。遊牧民族の見事な金工やイスラム文化の玉石に対する美意識が、遥か遠く離れた紫禁城で清代の芸術に新たな生命力を注ぎ込んだのです。
椿伯爾面紗(レースのヴェール)
- 清 18世紀
- 回部の作品
このレースの布はタジク族(塔吉克)女性の婚礼衣装の一つである。透かしの方形の枠内に細い糸が張ってあり、幾何学的な模様が描き出されている。特殊な織法で作られた18世紀のレースの数少ない作例の一つである。「春伯特」はウイグル語を漢字で音訳したもので、「(顔を覆う)ヴェール」を意味する。ヴェールの縁は花が帯状に刺繍されている。一面は金糸で蔓草の模様が刺繍され、赤いベルベッドのリボンで飾られている。もう一方の面は絹糸で花が刺繍され、青いベルベッドのリボンで飾られている。どちらも中央アジアではよく見られる模様で、刺繍法も一般的なものである。このヴェールには2組のひもがついている。一つは綿の赤い糸と銀色の絹糸の結び目、もう一つは金糸と真珠の結び目があり、金に宝石をはめ込んだ飾りがついている。後者の金飾は金色の玉と組み合わせて幾何学的な模様が作られており、赤と緑の宝石がはめ込まれている点もイスラム的な風格が強い。このヴェールはカシュガル(喀什噶爾)の町の一つイェンギサール(英吉沙爾)製である。古代、カシュガルはシルクロードの北中南三線が中国西端で交わる場所で、中央アジア各地からの交易が非常に盛んだった。このヴェールにはシルクロード上で溶け合った多元的な文化がそのまま表れている。
金嵌珠石帽花
- 清19世紀初
- 乾隆45年 カシュガルからの献上品
- 回部の作品
清宮廷にあった「金嵌珠石帽花」を収めた木製の箱には「金玉吉爾哈」と書いてある。「吉爾哈」はペルシャ語「jigha」の音訳だと思われ、インドとイスラムの王族や貴族がスカーフにつける羽根状の装飾品を意味する。『清室善後委員会点查報告』によれば、この作品は乾隆45年にカシュガル(喀什噶爾)より献上された。この「金嵌珠石帽花」の下部は管状に作られた玉からなり、中心部分に円形の花が一つある。羽根形の部分は両側に円形の宝石がついていて、大から小へと並べられている。先端に一方の側に傾いた大粒の宝石がついている。イスラム風のスカーフに留める装身具と同じ造形となっている。はめ込まれた宝石の下には金箔が貼ってあるが、しっかりと貼り付けられてはいない。両側につけてある金の細い鎖で帽子に固定することができる。非常に特徴的なのはこの羽根形飾りの裏につけられた2本の長い羽根形の金飾である。もともとは貴族が使用していた羽根形の頭飾は18~19世紀以降、大きく変化して様式も複雑になり、特殊なデザインのものも作られるようになった。より華やかなものが求められるようになり、身分の象徴としての意味が薄れていった。全体の作りや様式から推測するに、回部で作られたイスラム風のものである可能性が極めて高い。
包金嵌珠石帽花
- 清 19世紀初
- 回部またはイスラム風の作品
「包金嵌珠石帽花」と清代に記録されているこの美しい装身具はイスラム文化の色彩が濃厚である。細長い金枝が中心の柱から外側に向かって広がっている。柱の上部には薄桃色のトルマリンがついている。このような造形は、18世紀以降のイスラム文化圏の帝王が頭を覆う布に留めた宝石で作られた長い羽根状の装身具を連想させる。また、中心の柱にはめ込まれた赤と緑の宝石、その他の石を使った装飾を見ると、宝石の色合い、象嵌や宝石を繋げる手法、全体の美感など、ムガール王朝の風格によく似ている。清朝が収蔵していたイスラム風の頭飾は回部から献上されたものである可能性が高い。清の時代、回部は天山南路タリム盆地一帯を指し、現在のアフガニスタンとキルギスの一部地域も含まれていた。19世紀初頭、コーカンド・ハンの商人が天山南路と北路、中央アジアでの交易を掌握していた。地縁もあり、文化的な共通点も多いことから、回部ではイスラム文化関連の物が普及していた。その中の逸品が清朝に献上された。