紫禁城内の黄金珠玉の輝き、高く立派にそびえる宮殿建築、更に清い泉と秀でた石、満ち足りた帝王の御苑は、明清時代の諸帝が、長年にわたり修築建造を重ねてきた成果です。曽て、皇帝の即位・施政・婚儀・冊封・読書・憩う場所でした。また群臣百官が皇帝を助け、事務を掌る場所でもありました。これらの宮殿楼閣は、数百年の歳月を経て、風雪に耐え、王朝の盛衰の舞台として、時代変遷、政局がめまぐるしく変わり、世事の移ろいゆく時の流れを見てきた場所と言うことができます。
本コーナーで陳列される写真は、その多くが清末民初に撮られたものです。その範囲は紫禁城の内廷-北の皇帝居住区、及び外朝-南の皇帝親政の区の各重要宮な祭壇、廟、楼閣に及びます。今日の紫禁城は、已に帝制時代の権威の衣を脱ぎ捨て、対外的に参観できるように開放されています。古い写真映像から、往事の皇室紫禁城宮殿の華麗な輝きをご参観の皆様に一目見ていただきます。
紫禁城外朝の中心軸線上の前三殿
- 20世紀初
- 北京故宮博物院提供
紫禁城は北京に位置しており、元朝の大都の敷地内に建ち、明・清両朝の修築を経てできあがった城で、その規模は極めて壮観である。二十四人の皇帝はここで天下に号令を下した。四面には各一つの城門があり、南は午門、北は神武門、東は東華門、西には西華門が建つ。城外には周囲を堀が巡り、城内は乾清門広場を境に、南部を外朝と総称し、北部を内廷と称する。
紫禁城の中軸線上にある建てられた太和・中和・保和の三大殿は外朝の中心であり、又の名を「前三殿」と呼ぶ。太和殿は皇朝の正殿であり、中間には金漆の蟠龍の玉座が設けられ、ここで皇帝の即位・婚儀・上皇、皇太后への称号の付与・皇后の任命・大朝会の開催・天子が群臣と共に行う宴会、出陣の命令・毎年の元年、冬至、皇帝の長寿を祈る三大節句などのいずれもこの本殿で行われた。前方には丹陛(朱色のきざはし)、きざはしの間には日時計、嘉量(円筒筒形の銅製枡)が各一つ、銅の亀、銅の鶴が各二つ、及び十八個の宝鼎が並べられ、皇帝の長寿と国の繁栄を願った。宮殿のきざはしの下には広場が広がっており、文武官吏の儀礼を行った。
紫禁城内の内廷中心軸線、後三宮
- 20世紀初
- 北京故宮博物院提供
乾清門広場より北を内廷と呼ぶ。紫禁城の中軸線上に宮殿があり、乾清宮から始まり、次いで交泰殿、坤寧宮と順に並び、合わせて「後三宮」と称されている。「後三宮」より北側には、欽安殿及び御花園があり、皇帝が普段、花を愛でたり、休憩をしたりする場となっている。
乾清宮の前には乾清門が建ち、内廷の正門でもあり、清朝の皇帝が「御門執政」を行った場所でもある。乾清宮は元は、明~清代初期の皇帝の寝室であり、雍正帝が寝室を養心殿に移した後、新たな政務を執る場所とされた。乾清宮の中央には玉座が設置され、玉座の後には屏風があり、康熙帝の御製「五屏風銘」が彫られている。宮中上方に掛けられている、「正大光明」の匾額は、雍正初年に「秘密建儲法」が推進され、皇位を継承する者の名を記した文書を箱に入れて密封したものが、この匾額の裏に収蔵された。乾隆、嘉慶、道光、咸豊の四人の皇帝いずれも、この法により皇位が継承されている。
京城壇廟
- 二十世紀初期
- 北京故宮博物院提供
天壇は、紫禁城の南側に位置する。明・清時代の皇帝が天を祭った場所であり、明の永楽年間に建てられた。内外二つの祭壇に分けられ、主要な建築物は内壇に位置し、南から北にかけて中軸線上に建てられている。前方には圜丘壇がある。三層からなる円形の石壇であり、皇帝が天を祭った場所である。天壇の北には皇穹宇があり、祭祀に用いる神牌が保管された。更にその北側には祈年殿がある。皇帝が穀類の豊作を祈った場所であり、きざはしにより南北の主要建築物に結ばれている。西には斎宮があり、皇帝が祭事の前に斎戒した場所である。天壇の造型は広く、具体的に中国の天と人との関係を象っており、現在に至るまで完全な形で保存された祭壇建築群と言える。