明代末期から清代初期にかけて、西洋のガラス製品が伝えられると、中国の玻璃工芸はもう一つの高みに達しました。清代康熙年間に内務府造辦処管轄下に玻璃製品を専門に製作する工房 – 玻璃廠が設置され、欧州の宣教師や商人らによりもたらされた着色料のほか、配合法や技術なども取り入れられ、宮廷御用玻璃器の製作と研究開発が行われました。
艶やかで透明な「平板玻璃」、色鮮やかな「単色玻璃」や「套色加彩玻璃」(彩色ガラスと色被せガラス)、「玻璃胎画琺瑯」(ガラスの胎にエナメルで絵を描いたもの)、「玻璃画」のほか、多面カットの象嵌玻璃など、宮廷建築物の出入り口や窓、乗り物、飲食用の器、文房具、装身具などに玻璃工芸の豊かな伝統が幅広く用いられました。その一方で、研究開発も継続して行われ、新たな特色が編み出されました。精巧緻密な玻璃工芸品を見ると、持ち運びできる鼻煙壺(嗅ぎたばこ入れ)、観賞価値の高い各種装身具や小物など、製作技術と素材の応用面での多元性が示されています。