西藏古稱「吐蕃(བོད། Bod)」,藏傳佛教和漢傳佛教的接觸始於唐初,十三世紀蒙元定都北京,尊崇藏傳佛教,喇嘛大量進入內地,藏傳佛教的神祇、法本流通於禁宮,種種佛事歷明、清而不絕,流風所及,藏文的經、咒也出現在漢文的典籍中,如「唵嘛呢叭咪吽」是《西遊記》如來佛鎮伏孫悟空的神咒,《大乘經咒》、《大明仁孝皇后夢感佛說第一希有大功德經》等漢傳經典也收錄不少經咒,而藏傳佛教尊像與藏僧的形相也成為《大威德陀羅尼經》漢文佛典插畫的素材,甚至有些書家、學者亦以藏文咒語書寫作品。
欧陽無畏氏が収蔵するチベット語の大白傘蓋仏母心咒近心咒
チベット語の楷書体で書かれている。正文は大字で四行から成り、『大白傘蓋仏母心咒』(一~三行)と『近心咒』(三~四行)に分かれている。文中に『聖如来頂髻所出大白傘蓋無能勝迴遮母最勝成就陀羅尼経』が出てくる。経文には「若い人が読誦し、書写し、この二呪を受持すれば、諸悪の毒害を受けず、宿業罪障を取り除くことができ、無量無辺の諸仏の福蘊が得られ、常に金剛部衆の護衛を受けることができる」と書かれている。
末行に「漢族比丘君庇(八思巴文朱文方印)亟美(蔵文白文方印)敬書。」の落款がある。比丘は俗名を欧陽鷙(1913-1991)、字(あざな)を無畏という。江西省興国県の出身。民国二十三(1934)年、チベットの哲蚌寺で出家した。法名は法名君庇亟美(chos vphel vjigs med)。『蔵尼遊記』『大旺調查記』を編纂した。民国四十一(1952)年に来台。国史館で編纂業務に携わる。また政治大学の教授としてチベットの言語、歴史、文化などを教え、チベット学、チベット仏教の人材育成に努めた。「台湾チベット学の父」と呼ばれる。