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御筆書画と詩文の織物

御筆書画詩文は宮廷緙繍の中心的な内容であり、見本の多くもそれらを元にしたもので、特に乾隆時代は盛んに用いられました。皇帝の手による書や絵、文章などの作品から宮廷の見本が作られ、それを元に織物が制作されました。このほか、大臣が書いた皇帝の詩文を緙絲にしたものや、大臣の母親や妻が御筆を下絵として刺繍し、宮中に献上した作品もありました。
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  • 清 御筆緙絲新韶如意 軸

    故絲000093

    乾隆23年(1758)、乾隆帝は北宋董祥作と伝えられる水墨作品「歳朝図」を鑑賞した。その絵に描かれた花果─椿と梅の花、松葉、霊芝、柿、百合などの清供には百事如意、歳寒長青などの吉祥の意味があり、乾隆帝はこれを吉兆とみなした。それ以降は何年にもわたって君臣ともに模倣作を幾つも制作し、清朝宮廷緙織による複製も作られた。この作品もその中の一つである。
    この緙絲は「勾緙」、「搭緙」という技法で物象の輪郭が、「平緙」で色の面が表現されている。椿の花弁のぼかしは「木梳戧」、霊芝の色のグラデーションは「長短戧」で表現され、花瓶の芭蕉紋と蓮花紋は金糸で織り出されている。全体に華やかだが清逸な雰囲気がある。墨書の「新韶如意御筆」と「乾隆」、印章の「清供耳目謀」や「扇以淳風」、「新藻発春妍」なども緙織で表現されている。

  • 清 緙絲御製養心殿銘 軸

    故絲000108

    乾隆帝(1711-1799)、姓は愛新覚羅、名は弘暦。年号は乾隆(1736-1795)。在位期間は60年に及んだ。文芸を非常に好み、豊かな収蔵品を有し、政務の合間に翰墨を楽しんだ。
     この緙絲は乾隆帝が乾隆15年(1750)に楷書で書いた養心殿の銘文を下絵として織られたものである。清朝宮廷の『造辦処活計档』によれば、乾隆帝は乾隆40年(1775)、養心殿の銘文を拡大し、実物通りに緙織するようにと蘇州織造に命じたという。このことは乾隆時代の織物制作が皇帝の御製詩文を中心としていたことを示している。

  • 清 御製賛緙絲釈迦牟尼仏 軸

    故絲000123

    乾隆時代は緙絲書画が最も盛んに制作された時期で、宗教に関する大型作品もその特色の一つである。この作品には瓔珞で飾られた宝幢の下で結跏趺坐する釈迦牟尼仏がおり、天から花の雨が降り注いでいる。上部には乾隆帝が乾隆27年(1762)に書いた行楷書の御賛が青地に金色の文字で織り出されている。この模様と御書賛は清朝宮廷所蔵「明鄭重釈迦牟尼像」軸から取られている。
    この作品は細い絹糸が均一に用いられ、着色も華やかで美しく、織り上げてから絵筆で着色されている。細部の表現や明暗のコントラストも絵画と同様になっており、これも清代緙絲の特色である。例えば、釈迦牟尼仏の顔立ちと身体の肌色の赤みや、下方の蓮の花弁の先端は織り上げてから絵筆で着色したもので、五色の彩雲の間に見られる櫛状戧色織の質感とは大きく異なっている。

  • 清 緙絲大寿字 軸

    故絲000100

    この作品の題簽には「老仏爺御題長春益寿一幅」と書かれている。慈禧太后(西太后,1835-1908)が書いた「壽」(寿)という文字を元に制作された大型の緙絲である。朱色の「壽」は白木蓮や牡丹、海棠、蘭、桃、薔薇、藤、紫陽花、水仙、霊芝、梅など、四季の花々で埋め尽くされている。全体の緙織は緻密で、花も枝葉も織り上がってから絵筆で細部が着色されており、精巧細緻な作品となっている。
    このような設計様式は清代初期以降に流行した蘇州版画に似ており、「福」や「壽」などの書法の線からなる平面的な空間が、花々や神仙などの模様で埋め尽くされ、吉祥を意味する文様で満ち溢れている。蘇州版画作品の特色と比べると、本作の色遣いには淡雅な趣があるが、壮麗で堂々たる風格があり、皇家ならではの雰囲気が漂う。

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