宋人筆記に第一と記される汝窯の窯跡は、河南省宝豊県清涼寺に位置しています。汝窯産青磁の焼造と使用について、宋人筆記には「御用品に選ばれなかった不合格品だけが販売を許された。」、「定器は宮中で使われなくなり、汝器のみが使用された。」とあり、汝窯が宮廷御用達の磁器とされていた史実が記されています。また、北宋の徐兢の著書『宣和奉使高麗図経』(1124)には、高麗時代の青磁と汝窯は見た目がよく似ているとの記述があります。清涼寺窯跡からの出土品と高麗青磁もよく似ており、この点からも汝窯と国外の窯業との交流がうかがえます。
「官窯」とは、宮廷御用達の陶磁器を専門に生産した窯場を指します。北宋の徽宗帝によって設置された官窯は、文献にもその名が見られる「京師官窯」ですが、目下のところ、それらしい窯跡は発見されておらず、どのような窯場だったのか確かめる術もありません。南宋官窯の一部の器形が汝窯と似ている点を考慮し、宮廷用磁器であったことも視野に入れると、汝窯が北宋の官窯だったのかもしれません。