「貴似晨星(朝星の如く貴き)」の句の出自は、乾隆皇帝の御製詩である。また「少貴似晨星(数少なく朝星の如く貴い)」、「晨星真可貴(朝星は真に貴い)」などの言い回しは、皆物の希少価値を形容している。取り分け「趙宋官窯晨星看(宋代の官窯は数少ない朝星の如く見なすべきである)」の句を通じて、乾隆帝が宝として珍重していた文物とは、正に宋代の官窯磁器であったことが明らかになる。
所謂宋代の官窯とは、文献記載から北宋の官窯、及び南宋修内司と郊壇下官窯を意味していることが分かる。近代における南宋官窯の模索と研究は、1930年代、日中両国の学者が行った資料の採集と調査まで遡ることができる。当時は未だ南宋官窯の実態を把握するまでに至らなかったが、そこから生まれた青磁鑑賞の趣や、謎を解く為の思考法などは、1990年代まで続いた。浙江省杭州市の老虎洞窯址が発見された後、多くの学者は郊壇下と老虎洞こそ文献に記されている二つの南宋官窯であると考えるようになった。それに対し、北宋官窯に対する理解は、文献記載に従う従来の見方の他、一部の学者は乾隆帝御製詩と河南省宝豊県清凉寺窯址の出土状況を照らし合わせ、汝窯こそが北宋官窯ではなかったのか、との考えを提出している。
国立故宮博物院に所蔵される清朝宮廷旧蔵の青磁は、夥しい数に上る。どの品も、元置かれていた場所を復元ことが出来るだけでなく、その上に彫られている御製詩を通じて、乾隆帝が文献を読み砕いた心得、及び十八世紀における官窯の概念や分類などを現わしている。古を以て今を鑑みる、と言うが、現在の我々は、如何なる観点からこれら伝世する珍蔵品を扱うべきか。この展覧会は清朝宮廷コレクションの文脈を辿る一方、今ある陶磁史の観点を統合し、個別作品の産地、焼造時期や提起される問題などを新たに探索した。更にこの展示は「汝窯と北宋官窯」、「南宋官窯」、「青磁の砕器」、及び「鑑賞と発見」など四つのセッションに分けられており、伝世する実物と、文献や考古学資料などを関連付けて、12世紀から14世紀の青磁の焼造背景、鑑賞の趣、及びその作品的特徴を提示することを期している。